達而録

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『説文解字』一篇上・門部「閏」

説文解字』一篇上・門部「閏」

  閏,餘分之月,五歲再閏也①。告朔之禮,天子居宗廟,閏月居門中。从王在門中。《周禮》:閏月王居門中終月也②。

校勘

・「五歲再閏也」,大徐本、小徐本無「也」字。

【訳】

 「閏」とは、付け足される月のことで、五年の間に二度閏月を用いる。告朔の禮(毎月初めに行う暦を告げる儀式)では、天子は宗廟に居て、閏月には門の中に居る。(「閏」という字形は)「王」に従い、門の中にいる。『周禮』には「閏月に、王は門の中にいて、その月を終える」とある。

 いきなり『説文解字』の本文から書き始めましたが、今回はこの部分の段玉裁の注釈を読んでいきます。

 まず、①に対する段注。

 ①戴先生《原象》曰:日循黃道右旋,邪絡乎赤道而南北,凡三百六十五日,小餘不滿四分日之一,日發斂一終。月道邪交乎黃道,凡二十七日,小餘過日之半,月逡其道一終。日月之會,凡二十九日,小餘過日之半以起朔。十二朔凡三百五十四日有奇分而近,歲終積其差數置閏月,然後時序之從乎日行發斂者以正。故堯典曰:朞三百有六旬有六日,以閏月正四時成歲。言六日者舉成數。玉裁按:五歲再閏而無餘日。

 ①戴震「原象」は以下のように述べる。「太陽は黄道に沿って右へと旋回し、天の赤道を斜めに絡んで南北に移動し、合わせて三百六十五日と四分の一日に少し満たないときに、太陽の南北の移動が一回りする(※地球の公転周期は約365.24日)。月道(月の通り道、白道)は黄道と斜めに交わり、合わせて二十七日と半日で、月はその道を一周しもとの位置に戻る(※月の公転周期は約27.3日)。太陽と月が交差するのは、合わせて二十九日と半日で(※月の満ち欠けの周期は平均29.5日)、この周期で「朔」(太陽太陰暦における一か月の初めの日)を立てる。十二の朔があると、だいたい三百五十四日に近く(29.5×12=354)、一年の終わりにその差が積み重なれば閏月を置き、そうして暦が太陽の巡りに従って正される。よって『尚書』堯典は「一年は三百六十六日あり、閏月によって季節を正し、一年が成る」という。「六日」というのは、整数にして述べたのだ。」玉裁が考えるに、五年に二度閏月を置けば、余分な日がなくなる。

 ここは、段玉裁が戴震の説を引いて、閏月のメカニズムを説明するところです。

 「五年に二度」閏月を置くというのは大ざっぱな表現で、正確には19年に7回置かれます(章法・メトン周期と呼ばれます)*1。上の戴震の数値に従って計算すると、

365.25-354=11.25日(一年間の月の周期と太陽の周期のズレ)

11.25*19=213.75日(その19年間の積み重なり)

213.75/29.5≒7.24(その間に約7回閏月を置くと、ズレを修正できる)

 となりますね。

 ちなみに、宋代に作られた黄道の図が以下です(File:Su Song Star Map 1.JPG - Wikimedia Commonsより)。

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 ほか、太陽・地球・月の動き、太陽暦太陰暦といった事柄については、国立天文台の「暦Wiki」に分かりやすい解説があるので、おススメです。

eco.mtk.nao.ac.jp

 

 次は、②に対する段注を見ていきます。

 ②此說字形也。《周禮·大史》:閏月詔王居門終月。注謂路寢門也。鄭司農云:《月令》十二月分在青陽、明堂、緫章、玄堂左右之位。惟閏月無所居,居於門。故於文王在門謂之閏。《玉藻》:天子玄端而朝日於東門之外,聽朔於南門之外,閏月則闔門左扉,立於其中。玉裁按:古路寢、明堂、大廟、異名而實一也。當云告朔之禮,天子居明堂。如順切。十三部。

 ②これは字形を説明する。『周禮』大史に「閏月には詔し、王は門に居て、月を終える」とあり、鄭注は「「門」とは路寢の門を指す。鄭司農は、「月令」の十二月は青陽・明堂・緫章・玄堂の左右の位に分けられているが、ただ閏月だけは居場所がないので、門に居るのだ。文王が門にいるから「閏」というのだ」という。『礼記』玉藻には「天子は玄端を身に着け、東門の外で朝日の儀を行い、南門の外で聽朔を行う。閏月には、闔門の左扉で行い、その中に立つ。」玉裁が考えるに、古くは路寢・明堂・大廟は、名は異なるがその実態は同じものである。(よって『説文』の本文は)「告朔之禮,天子居明堂」というべきである。如順の反切。十三部。

 どこから説明するのがいいのか分かりませんが、まず「月令」の説明をいたしましょう。月令とは、月別の行事をまとめたもので、その月に行うべき祭祀や農作業、政治などが書かれています。ここで、月別の天子の居場所が定められており、「青陽」「明堂」「緫章」「玄堂」の四つの部屋のうち、それぞれ「左个」「右个」「大廟」という位置にいることが定められています。この4×3で、十二カ月が埋まりますね。

 すると、十二カ月に入らない月、つまり「閏月」が問題となります。『周禮』大史には「閏月詔王居門」、そして『礼記』玉藻には「閏月則闔門左扉,立於其中」とあり、ここから、王は閏月には「門」に居たらしいと分かります。鄭玄によれば、この「門」とは、「路寝」(皇帝の普段の居所)の門を指すそうです。

 つまり、「」が「」にいるときの月だから「」というのだ、と説明しているわけですね。(なお、これは『説文解字』および段注の説であって、正しいかどうかはまた別問題です。)

 

 段注の「古くは路寢・明堂・大廟は、名は異なるがその実態は同じものである」とは何の議論だが分かりにくいですが、以前、少し触れたことがあります。

chutetsu.hateblo.jp

(棋客)

*1:たとえば、『周易』繋辞上伝に「五歲再閏」とあり、王弼注に「凡閏十九年七閏為一章。五歲再閏者,二故略舉其凡也」とあります