前回の続きです。ここまでの説を整理すると以下です。
鄭玄説:卿大夫以下の場合、西室・東房の二部屋。
陳祥道説:卿大夫以下も、天子諸侯と同様に、西房・室・東房の三部屋。
この説の相違について質問した萬斯同に対する、黄宗羲の答えが以下。
・黄宗羲「答萬季野喪禮雜問」
②鄭康成謂天子諸侯有左右房,大夫士惟有東房西室。陳用之因〈郷飲酒〉薦脯出自左房,〈郷射〉籩豆出自東房,以爲言左以有右,言東以有西,則士大夫之房室與天子諸侯同可知。③此不足以破鄭説。所謂左房者,安知其非對右室而言也。所謂東房者,安知其非對西室而言也。④如〈士冠禮〉「冠者筵西拜受觶,賓東面答拜。」註「筵西拜,南面拜也。賓還答拜於西序之位。」此時筵在室戸西,當扆之處。無西房則西序與筵相近,故容答拜。有西房則西序在西房之盡,其去筵也遠矣,此猶相距耳。⑤若〈士昏禮〉舅席在阼西,而姑席在房戸外之西南面,姑席不設於房戸東者、以阼當房戸之東。若設於戸東,則在舅之北,相背不便。醴婦之席在戸牖間,當扆之處。婦東面拜,受贊西階上,北面拜送。無西房則西階與牖,相當不碍東面。有西房則贊與婦背面焉,有背面不相見而可以爲禮者乎。
⑥以此推之,士未必有西房也。且胤之舞衣,大貝,鼖鼓,在西房。兌之戈,和之弓,垂之竹矢,在東房。是天子諸侯之兩房,經有明文。士既有西房,何以空設,無一事及之耶。
なかなか読み切れませんが、要約してみます。
②鄭玄は、天子・諸侯には左右に房があり,大夫・士は東房と西室だけがある、とする。陳祥道は、『儀禮』郷飲酒禮の「薦脯は左房から出る」*1と、郷射禮の「籩豆は東房から出る」*2の語から、「左」と言うからには「右」もあり、「東」と言うからには「西」もあるはずだと考えて、士・大夫の房室の制度は天子・諸侯と同じである、とする。
③しかし、陳説は鄭説を破れていない。ここで言う「左房」や「東房」というのが、右房や西房に対応するものではないことは、以下から分かる。
④『儀禮』士冠禮「冠者は筵西(戸の西の筵)にて拜し、觶(酒器)を受け、賓客は東面して答拜する」、鄭注「筵西拜とは、南面して拜する。賓客はこれに応じて西序の位にて答拜する。」この時、筵は室の戸西、扆(屏風の一種)がある場所にある*3。西房が無ければ、西序と筵が近いため、答拜することができる。西房があると、西序は西房の隅にあるから、筵と遠く離れてしまう。
⑤『儀禮』士昏禮から、舅の席は阼の西にあるが、姑の席は房の戸の外の西にあり南面する。姑席を房の戸の東に設けられない理由は、阼が房の戸の東に当たるからである。仮に姑席を戸の東に設ければ,舅席の北にあることになり、背中合わせになって不便である。醴婦の席は戸と牖の間、扆を置く場所にある。婦は東面して拜し,贊を西階の上で受けて、北面して拜送する。西房が無ければ、西階と牖とは東面する時に妨げない。西房があると、贊と婦とが背を向けあうことになる。背面して見ることができない状態を「礼」と呼べるだろうか?
⑥以上から考えれば、士には西房は必ずしもあったとはいえない。『尚書』に記載される様々な礼の行事は、西房・東房で行われる*4。つまり、天子・諸侯に二つの房があったことは、経書に明文がある。士に西房があったとしたら、全く無駄に設けて何も行わないということになってしまうのではないだろうか。
黄氏の意図としては、『儀礼』士冠禮、士昏禮(その名の通り、「士」の礼制を示す)に記載される礼の細かな手順を手掛かりにして、「士」に「西房」が存在すると礼の手続き上に不都合が起こるから、士には西房がないはずだ、という議論の流れになっています。
もう少し噛み砕いて説明しましょう。まず、④について。
(図A:西房がある場合)
| 西房 | 室 | 東房 |
| 戸 | 筵 戸 | 戸 |
| 西序 堂 東序 |
(図B:西房がない場合)
| (西)室 | 東房 |
| 筵 戸 | 戸 |
| 西序 堂 東序 |
図Aの場合、「筵」と「西序」が離れすぎていておかしい、図Bなら問題ない、と言っているのでしょう。(次回以降に述べますが、特に「戸」の位置については議論がありますので、参考程度に見ておいてください。)
次に、⑤について。実は、舅席と姑席の話がどう関係しているのか今一つ分かっていないのですが…。(礼において背面し合うことが無いことの一例として引かれているのでしょうか?)
(図A:西房がある場合、醴婦の席=■)
| 西房 | 室 | 東房 |
| 戸 | 牖 ■ 戸 | 戸 |
|婦受贊 堂 |
| 西階 | | 阼 |
(図B:西房がない場合、醴婦の席=■)
| (西)室 | 東房 |
| 戸 ■ 牖 | 戸 |
| 婦受贊 堂 |
| 西階 | | 阼 |
図Aの場合、■の位置で東を向いた時に、「婦受贊」の位置に対して背を向けてしまうが、図Bなら問題ない、といことでしょうか。
「答萬季野喪禮雜問」のうち、東房・西房に関する議論は以上になります。結局、黄宗羲は鄭玄説を支持するのでしょう。
細かいところまで理解が届きませんでしたが、礼学の議論の雰囲気を感じていただければ幸いです。次回に続きます。
(棋客)