達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

劉咸炘の目録学講義(5)

 前回に引き続き、劉咸炘『続校讐通義』の「通古今」篇を読みます。今日読むのは、この篇のまとめの部分です。

 まとめると、昔は四部を並列で見ていたが、今は史部・子部を主とし、經部が上にあり、集部が下にある。天下の文は、内容で分けると三種にほかならず、「事」が史、「理」が子、「情」が詩である。体性(体例・文体の性質)で分けると、「記載」と「著作」にほかならず、記載が史で、著作が子・詩である。詩は知識に関わるものではなく、知識のあるところは史と子だけである。天下の学はただ事と理だけだから、天下の書はただ史と子だけだ。集部は情の文であり、子・史の流れを兼ねている。經はこの三者の源である。これが四部の大義である。

 劉咸炘は、著述の全体を、事・理を中心としながら、これに「情」を加えた三種で把握するようです。前回の記事で、劉咸炘は四部分類を「史・子=幹」「經=根」「詩=末」と捉えていることを述べました。書物の分類の方法と、学問全体の体系を結びつけて理解していることが分かります。

 六藝とは、六部の最古の書物である。(六藝が)群書を統べることができるのはなぜだろうか。それは、後世の群書は、六藝にその雛形が備わっているからだ。六經はみな史であり、古人は事を離れて理を言うことはない。史と經の関係は、子と父のようなもので、子と經の関係は、弟子と師匠のようなものだ。私は「中書」で章先生の説をすでに詳しく説明した。『尚書』『春秋』『礼』の流れが「史」であるのは明らかである。『易』は理を言うが、その意図は過去をたくわえ、未来を知ることにあり、『詩』は情を言うが、その意図は風俗を見ることにあり、そのはたらきはいずれも史と同じである。その体を論じると、『易』の流れが後の術数であり、『詩』の流れが後の詩賦である。詩賦が一つの部門になったので、情文と事理が並列するようになった。術数と方技・兵書が諸子と分けられている理由は、もともと専門家によって校讐されたもので、その体例や内容が諸子とは異なるからだ。章先生は「虚理」と「実事」の区別を言うが、その名前の立て方がはっきりしていないため、『易』と史・子の区別が容易に混同されてしまう。ここでは西洋の名称を借りて名付けて、「通理」と「応用」の区別という。諸子はみな大きな通理を言い、一つの義を取り上げてさまざまな物事に通用させようとする(つまり、陰陽家はただ術数の理だけを言うわけではない)。兵書・方技・術数は、一つの物事に限られたものだ。よって、六藝の外には五つの枝があり、それらは三種に区分され、六藝に統べられている。これが『七略』の大義である。

 劉咸炘の「中書」は、以前本ブログで読んだ「三術」や「認經論」が収録されている著作です。

 劉咸炘は章学誠を濃厚に意識する学者で、章学誠の言葉をそのまま丸ごと引用する場合も多いのですが、このように自分の言葉で言い換えて説明するところもあります。こうした場合、章学誠を理解するための一助にもなりますし、劉咸炘独自の考え方が現れている部分として読むこともできます。

 たとえば、章学誠の「虚理」と「実事」の対応では分かりにくいから、「通理」と「応用」と名付け直すあたり、なかなか面白いものです。これが章学誠の言いたいことを正確に表現しているのかはまた考えてみなければなりませんが、よいヒントになりそうです。

(棋客)