今日は、小尾郊一氏の「古典注釈の態度」を紹介します。以下のまっつんさんのツイートに教えていただきました。
国会図書館デジタルコレクションの恩恵にあずかり「古典注釈の態度」(小尾郊一 著 中国中世文学研究22)読了。「義疏」や「正義」を中心に、中国の古典注釈への考え方を端的に語る。
— まっつん(馬寸) (@ma3cun4) 2023年3月15日
「何故か」と問いかける精神が注釈の伝統となっていく、というお話は分かりやすかった。https://t.co/IzRE27hPzf
『中国中世文学研究』は、広島大学の中国中世文学研究会の会誌で、もともと小尾郊一氏が始めたものですね。詳しくは広島大学の中国語学中国文学研究室のホームページをご覧ください→広島大学中文HP
本稿は、『中国中世文学研究』22号(1992年)に載せられているものです。国会図書館のデジタルアーカイブで公開されており、以下のリンクから誰でも読むことができます。
6ページという短い文章ながら、本ブログでたびたび取り上げてきた「義疏」の面白さをよく解き明かしています。以下に、少し引用しておきます。
ところで孔穎達は苦心して「正義」を作ったわけですが、ただどうしても嘗ての「義疏」の名残が出てくるわけです。今の「正義」を読みますと、整理しきれなかった「義疏」の名残が、随所に出てきています。しかし、逆に言えば、六朝義疏学の形態を知ろうと思えば、この『五経正義』から推測することができるわけです。「義疏」は、先ほど言ったように、絶えず何故こうなるのか、何故かという問いかけをしているわけです。「何故こうなってくるのか」とその説明を先生がすると、弟子の方は、「先生は何故そういう風に考えるのか」と尋ねる。それで先生の方は「これこれこうう理由だ」と説明すると、また別の弟子が「どうしてそうなるのか」と尋ねる。こういう風に、いつも何故か、何故か、という論争が集中して「義疏」はできあがったものです。
ここでは「義疏」がもともと「なぜそうなるのか」という問いかけから生まれてきたものであることが論じられています。ということは、「義疏」を問答の形式で再構成して翻訳することも可能であるはずです。そうした試みを実践したものに、以下の例があります。
- 頼惟勤「「匏有苦葉」二章の疏」(『中国語学』100、1960)
- 古勝隆一「劉炫の『孝經』聖治章講義(『中国哲学史研究』30、2009)
ちなみに、筆者もこのブログで一度やってみたことがあります。
本ブログでは、義疏の実例についてもいくつか紹介してきました。色々書きましたが、以下の例が分かりやすいでしょうか。
さて、義疏については、最近、王孫涵之「義疏概念の形成と確立」(『東方学報』97、2022)も発表されました。「義疏」という言葉が、実は一筋縄ではいかないということが、さまざまな事例を整理しながら論じられています。
(棋客)