先日、古勝隆一『中国注疏講義 経書の巻』(法蔵館、2022)を著者よりご恵贈いただきました。
「中国古典を自分の力で読んでみたくはありませんか」
注釈を利用して古典を読む。その手法を基礎と実践で学ぶための一冊です。
【基本篇】で、注釈の基本知識と、テキスト、辞書、参考書について学び、
【読解篇】で儒教経書である『孝経』『論語』『周易』『尚書』『詩』『礼記』『春秋左氏伝』の注釈を実践的に学びます。「「注釈を利用して古典を読む」というこの方法を身につけることができれば、儒教経典のみならず、諸子の書・歴史書・文学作品・仏教や道教の経典に対する注釈、そして日本において作られた漢文の注釈書などに対しても、広範に応用してゆくことも可能です。そのためにも、まず儒教経典の注釈の読み方を学ぼうではありませんか。」(「はじめに」より)
上の説明にもありますが、本書を一言で言えば、「経書」を、特に注釈を通して読む方法を教える本です。「経書」については、以前このブログでも説明したことがあります。経書は、士大夫層が教養として身につけていたものであり、あらゆる中国古典を読む際に前提知識として必要になるものです。
では、経書を読むに当たってなぜ「注釈」を利用するのかという点については、本書に以下のようにあります。
第一の「注釈」は、中国において歴史上、二千年以上にわたり重視されてきた、古典読解のための重要な手段です。注釈を度外視して、直接的に本文を理解しようというのは、無謀な行為に他なりません。そして有力な注釈は重要な学問的営為として、伝統的に高く評価され、読み継がれてきました。これはある意味、権威主義の面がありますが、はじめの一歩としては、まず注釈を通して読むことを知らなければ、経書はまったく読めません。(p.20)
注釈を通して学ぶことの意義は、以上の言葉に尽きていると思います。
実際には、直接「注釈」そのものを読むことなしに、中国古典を読んでいる方もたくさんいらっしゃると思いますが、そういう場合でも(翻訳・辞書・研究などさまざまな形態で)知らず知らずのうちに「注釈」による研究の積み重ねを利用しています。
その源の部分に自ら目を通して見ることで、同じ古典を読むにしても、色々と見方が変わってくることでしょう。
ほかに、注釈を学ぶメリットとして、歴代の古典解釈のそのものを学ぶことができる、という点もあります。注釈は、中国古典の研究の歴史を示すものですから、過去の人々がどのように考えて古典を読んできたのか、ということを注釈を通して学ぶことができます。
中国古典を読むとき、注釈に気を配ることで、ちょっと世界が広がります。そもそも古典を読むってどういう意味のある行為なんだろうか、ということを考えていくきっかけにもなると思います。
実は、私は本書の校正のお手伝いをさせていただきました。みなさま、ぜひ手に取ってお読みください。
(棋客)