達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

梁鴻『中国はここにある』

 梁鴻『中国はここにある』(鈴木将久・河村昌子・杉村安幾子訳、みすず書房、2018)という本を読みました。先日、たまたま著者の方とお会いする機会があり、この本を紹介していただきました。

近代化の矛盾に苦しむ農村に、現代中国の姿を浮かび上がらせ、大きな感情のうねりを呼んだノンフィクション。人民文学賞ほか受賞多数。

都市の繁栄の陰で荒廃する農村。農業だけでは暮らせない人々が出稼ぎにゆき、ほとんど帰らない。老人は残された孫の世話で疲弊し学校教育も衰退した。子供は勉強に将来の展望をみない。わずかな現金収入を求めて出稼ぎに出る日を心待ちにする。

著者は故郷の農村に帰り、胸がしめ付けられるような衰退ぶりを綴った。孤絶した留守児童が老婆を殺害強姦。夢はこの世で最も悪いものと自嘲する幼馴染。夫の長期出稼ぎ中に精神を病む妻。「農村が民族の厄介者となり…病理の代名詞となったのはいつからだろう」。希望はないのか。著者は農村社会の伝統にその芽をみる。

底辺の声なき人々の声を書きとめようとする知識人のジレンマに、著者も直面する。しかし敢えて自分に最も近い対象を選び、書くことの困難にうろたえる自身の姿を読者に隠さない。こうして紡がれた語りに、農民も都会人も没頭した。第11回華語文学伝媒大賞「年度散文家」賞、2010年度人民文学賞、2010年度新京報文学類好書、第7回文津図書賞、2013年度中国好書受賞。

https://amzn.to/3kP64ym

 また、以下から訳者の一人である鈴木将久氏の紹介文を読むことができます。

 →UTokyo BiblioPlaza - 中国はここにある

 この本は、農村に暮らす人々の語りをふんだんに使いながら、圧倒的なリアリティとともに、2008~2009年ごろの中国の一つの農村の様子を描き出すものです。その過程で、当時のいわゆる「都市化」の波に取り残された農村に横たわるさまざまな問題―貧困、人口減少、退廃、自然破壊―が浮かび上がってきます。そしてそれと同時に、農村のコミュニティやライフスタイルの在り方に、現代社会の抱える問題に対する一つの回答が見出されています。まず、当時の中国全体の社会の状況について、農村を中心に据えながら語った本として、素晴らしいものと言えましょう。

 しかし、本書の一番の魅力となっているのは、「農村」を分析対象として自分の外側に置くのではなく、筆者自身が農村に入り込み、対象と溶け合いながら描写が進められていることです。

 本書の構成は、テーマや問題設定によって分節されるのではなく、あくまでその章の中心となる農村に住む人物によって分節されています。そしてその人の人生や人間関係を振り返りつつ、当人の語りを載せ、それに対する筆者のコメントが附されます。コメントといっても、その背景となる社会的情勢を解き明かすものもあれば、筆者が戸惑いや感覚の相違を率直に表現したものもあります。

 そもそも、取材対象となっている村は筆者の故郷です。その語りには筆者の記憶や、主観が入り混じっており、ただ農村の外側から農村を分析する語り口とは異なっています。かといって、筆者は長い間故郷を離れていて、かつ故郷の様子を文章化しようとして農村に一時滞在した存在であり、完全に農村の内側に入りきることができる存在でもありません。

 筆者は、外から対象化することを拒否しつつも、内に同化できるわけでもないという自身の立場を繰り返し自覚しながら、誠実に一つの農村のいまを描き出しています。

(棋客)