以前、『説文解字』公開画像データの一覧を整理しました。
この後、多くの方よりコメントを頂き、色々と修正が必要なことが明らかになりました(コメント、本当にありがとうございます)。というわけで、今回はその修正版です。あくまで「公開画像データを一覧にすること」を目的とし、簡便化を旨としながら、再度整理してみました。文章は前回のものを引き継ぎつつ、適宜修正を施しています。
ややこしすぎてくじけてしまいそうになるところですが、こういう部分こそ、丁寧に見ていけば面白いところが出てくるものです。合わせて、最後に参考文献一覧を補っておきました。また色々と修正が必要になるでしょうが、適宜アップデートしていきます。
大きく分けて、『説文』には二系統の版本が存在します。ともに南唐から北宋にかかる頃に作られたもので、一つ目は徐鉉の作った大徐本、二つ目は徐鍇の作った小徐本です。二人は兄弟であり、徐鉉が兄で徐鍇が弟ですが、作られたのは小徐本が先。小徐本は『説文』原文に校定と注を附したもので、『説文解字繋伝』とも呼ばれます。このとき、徐鍇は各字を韻の順番に並べ替えた『説文解字篆韻譜』を合わせて作っています。その後、兄の方が『繋伝』に更に校定を加え、大徐本が成立しました。
その後、宋から明の頃は、『説文』を使いやすいように韻の順番で整理した李燾『説文解字五音韻譜』が通行し、原書に近い大徐本・小徐本は顧みられなかったようです。かの顧炎武が、大徐本・小徐本とこの『韻譜』とを勘違いしていた、という話も残っています。
明末の頃、毛晋という蔵書家が、汲古閣にて多くの書籍を刊刻しました。宋版『説文解字』大徐本を入手した毛晋と息子の毛扆は、その刊刻を試みます。この際、宋本をそのまま覆刻した訳ではなく、校定を加えていたことが分かっています(というより、本の覆刻の際には、遍く校定が加えられるものです)*1
そのうち、特に1653年の「第五次修改本」出版の際に大きく手が加えられたようです。「第五次」とあるので、それ以前にも何度も出版されていたかのような印象を受けますが、現在、第四次以前の本は殆ど見当たりません。この点について、高橋1995は、第四次以前はあくまで様本、校正のゲラ刷りのようなものであったと指摘しています。すると、正式な出版は「第五次」ということになります。その後、段玉裁はこの本の妄改を修正すべく、『汲古閣説文訂』を執筆します*2。一般に「汲古閣本」と呼ばれる本は、この「第五次修改本」を指します。なお、「汲古閣本」が出版された後も、この本が一気に広まったということはなく、なかなか手に入らない状況が続いたようです(張憲榮・周暁文2019)。
その後、更に汲古閣本を基礎に翻刻本が作られます。張憲榮・周暁文2019の整理に従えば、まず乾隆前期、祁門馬氏によって翻刻(修正?)され、これが四庫全書本の底本になります。次に、この祁門馬氏本を基礎にして、1773年(乾隆38年)に朱筠が翻刻します。更に、もう一つ蘇州錢氏による翻刻本もあり、これが後に世に行われたようです。段氏が見た本もこれではないか、と張憲榮・周暁文2019は指摘しています。(高橋1998も、汲古閣本の翻刻が二種あった可能性を指摘しています。)
更に、同じく大徐本系統の宋版をもとに刊刻したものに、額勒布の藤花榭本、孫星衍の平津館本、丁艮善の日照丁氏本が知られています。それぞれもとの宋本が異なっていたり、微妙に校定が加えられていたり、その校定に用いた本がまた異なっていたりと、それぞれややこしい事情があり、未解明の所も多いようです。ともあれ、このような形で大徐本が世に出回ることになりました。
大徐本でさえ明末にようやく注目されるようになったわけで、小徐本は更に埋没している状況でした。しかし宋本自体は伝わっていて、上の汲古閣校定の際にも実は用いられていた、と段氏は言っています。
小徐本の翻刻が行われたのは乾隆年間に入ってからのことです。汪啓淑本、祁寯藻本などがありますが、小徐本の方はもともと出回っている宋本の数が少なかったため、版本間の異同は大徐本ほど大きくはないようです。(そうはいっても問題は多いですが。また、小徐本はもとから「巻二十五」が欠けており、普通は大徐本によって補ってあります。)
さて、ここまでで述べたものは、いずれも明末から清の頃に宋本をもとにして翻刻されたもので、原書にどれほど忠実なのか、よく分からないところがあります。しかし、民国期に入ると、影印技術が発達したことで、宋本そのものの影印本が出版されることとなりました。代表的なものが「四部叢刊」で、大徐本・小徐本ともに善本が選ばれて影印されています。ただ、「影印」といっても微修正を加える場合があり、完全なコピーと言えるものではなく、字句の異同が存在する場合もあります。
となると、「より原本に近い、宋本影印本だけを見ればよいではないか」と考える方もいらっしゃるかもしれません。純粋に『説文』そのものだけを研究するのならそのような態度も有り得るかもしれませんが、『説文』研究が大きく飛躍した清代の学者の研究を読む際には、どうしても、彼らが見た版本を確認しつつ、議論を進める必要が出てきます。その際には、上のような各版本を参照する必要が出てくるわけです。
さて、以下整理に入ります。各本の中に貼ってあるリンクから、その本の画像公開ページに飛べます。(中國哲學書電子化計劃、維基文庫、Internet Archiveで見られる版本画像は基本的に共通していますが、ここでは「電子化計劃」のものを挙げています。場合によっては、画像ページの「詳細説明」の「原書來源」に、もと画像データを公開した大学図書館などのページにリンクが貼ってあります。)
☆大徐本系統
・汲古閣本(第五次修改本)→写真:早大古典籍総合データベース
・汲古閣本の翻刻本→上の整理に従えば、汲古閣本翻刻の「祁門馬氏本」を元に作られたのが「四庫全書本」(写真:電子化計劃)。また、東方學デジタル圖書館にて公開されているものも汲古閣本の翻刻本です(上の整理通りなら、蘇州錢氏刊本ということになりましょうか)。「朱筠本」には四部備要収録の影印本がありますが、一部汲古閣本に従って改められているようです(コメント欄参照)。
・汲古閣四次様本→現在見られるものは、1881年(光緒7年)に淮南書局が翻刻したもの。写真:東方學デジタル圖書館にて公開。
・藤花榭本→1807年、額勒布が鮑漱芳所藏の宋刊本を翻刻したもの。写真:早大古典籍総合データベースにて公開。
・平津館本→1809年、 孫星衍が宋刊本を翻刻したもの。写真:鈴木俊哉「国立公文書館所蔵『説文解字』平津館本解題」にて公開。解題つき。
・陳昌治本→1873年、平津館本をもとにして、見やすいように一字ごとに改行を加えて組み替えた本。「一篆一行本」とも呼ばれます。写真:東方學デジタル圖書館、早大古典籍総合データベース(こちらは十巻上・第二葉が補写)
・日照丁氏本→1881年、丁艮善が海源閣所藏の宋刊本を翻刻したとするもの。平津館本を改めて翻刻したという説あり。写真:東方學デジタル圖書館
・岩崎本の影印本→「宋本小字本」と呼ばれるものの一つ。もとは王昶、陸心源の旧蔵本でしたが、静嘉堂に入りました。これは段玉裁も校正に利用した本です。影印本には二種類あって、「續古逸叢書」に入っているものと、「四部叢刊」に入っているものがあります。写真:四部叢刊本(電子化計劃)、續古逸叢書本(電子化計劃)にて公開。先に述べたように、同じ本の影印でも微妙に修正が加えられていることがあります。参照:鈴木俊哉「續古逸叢書・四部叢刊における岩崎本説文解字影印の画像比較」
なお、大徐本で宋本そのものが残っているものには、もう一つ「海源閣本」があります。影印本は出ています(中華再造善本・国学基本典籍叢刊)が、画像公開はないようです。
☆小徐本系統
・汪啓淑本→1782年、汪啓淑によって景宋写本に基づき出版されたもの。写真:鈴木俊哉「国立公文書館所蔵『説文解字繋傳』汪啓淑本解題」にて公開、解題つき。のちに馬俊良『龍威秘書』に入っています(『説文』は冒頭に収められています)。写真:早大古典籍データベース
・祁寯藻本→1839年、祁寯藻が善本を集めて校定を加えて出版した本。これが代表的な刊本とされる場合が多いようです。のち『古經解彙函』に収録されます。写真:広島大学所蔵『説文解字繋傳』、古經解彙函本(電子化計劃)にて公開。但し、公開されているのは両者とも『古經解彙函』収録本であり、もとの祁寯藻本とはレイアウトが異なっています。原本は、中華書局から影印本が出ています。
【2021/01/05付記:本記事執筆後、祁寯藻本の最初期の印本が京都大学貴重資料デジタルアーカイブにて、最末期の印本が東方學デジタル圖書館にて公開されています。】
・四部叢刊本→影印本ですが、二種の本を組み合わせて作られています(卷一~二十九:述古堂景宋鈔本、卷三十~四十:鐵琴銅劍樓藏宋刊本)。写真:電子化計劃にて公開。同じ四部叢刊本でも、初印本と重印本で異なる部分があるそうですが、この辺りはまだ整理できていません。
☆その他の関連書籍
・『説文解字篆韻譜』→五巻本と十巻本の二種があります。元版が残っているようですが、公開はないようです。五巻本は、写真:国立公文書館蔵『説文解字篆韻譜』(五巻本、『函海』所収本)、新日本古典籍総合データベース(宮内庁書陵部蔵の和刻本)にて公開。十巻本は、写真:早大古典籍総合データベースにて公開。同所にて、もう一種公開されています。
・『古今韻会挙要』→南宋の黄公紹が編纂した『古今韻会』を元の熊忠が再編集したもの。段玉裁により、古い形の小徐本の引用が残されているとされて重視された。写真:京大貴重資料デジタルアーカイブにて公開。嘉靖版。
・『説文解字五音韻譜』→十二巻本。写真:東方學デジタル圖書館(萬暦版)、東方學デジタル圖書館(天啓版)にて公開。
☆国学大師
「国学大師」で漢字一字の検索をかけると下部に出てくる表に、様々な版本の『説文解字』とその関連書籍が出てきます。一字ごとの説解を見たい場合は、ピンポイントでその部分を表示してくれるので非常に便利ですが、どれがどの本なのか分かりにくいので、整理しておきます。
・『说文解字注』:段玉裁『説文解字注』(經韵樓本)
・「陈刻本」:陳昌治本(一篆一行本)
・「孙刻本」:平津館本
・「日藏本」:汲古閣本の翻刻、日本の官板『説文解字』。(写真:早大古典籍総合データベース)
・「汲古阁本」:汲古閣本(上で引いた早大古典籍総合データベースと同一本)
・『说文系传』:『説文解字繋伝』、四部叢刊本?
国学大師では、他に関連著作の『説文解字句読』『説文解字義証』『説文解字今釈』『説文解字詁林』を見ることができます。特に『詁林』は、まず簡単に字句の異同を確認しようとする際には非常に便利な本です。
☆参考文献
『説文解字』の代表的な入門書としては、頼惟勤『説文入門』(大修館書店、1983年)、阿辻哲治『漢字学 説文解字の世界』東海大学出版会、1985(新版は2013)が挙げれられますが、版本の整理はそこまで詳細ではないです。とはいえ概説的な部分は掴めますので、一読をお勧めします。
『説文解字』の版本に関する詳細な整理としては、高橋由利子氏の一連の研究が挙げられます。そのうちの一部、今回参考にしたもののみを挙げておきます。
・「段玉裁『説文解字注』の成立過程について(一)」(『お茶の水女子大学中国文学会報』6、1987)
・「『説文解字』毛氏汲古閣本について」(『汲古』27、1995、公開無し)
・「段玉裁の『汲古閣説文訂』について」(『中国文化』55、1997)
・「官版『説文解字』の依拠した版本について」(『お茶の水女子大学中国文学会報』17、1998)
なお、上で紹介した画像データの一部は、科研:『説文繋傳』『篆韻譜』諸版対照データベースと大徐以前の小篆字形の成果によって公開されたものです。その研究成果として、鈴木俊哉「清刊大徐本説文解字の版本評価の再検討に向けて」、鈴木俊哉「四庫全書本『説文解字繫傳』に見える小篆異体字 」などがあります。
中国の研究としては、張憲栄・周暁文「毛氏汲古閣本『説文解字』刊印源流新考」(『励耘語言学刊』、2019年1期)を参考にしました。
(棋客)
*1:【※2021/01/05追記:汲古閣本について新たな研究があり、新たな記事で紹介しています。】→小徐本「祁寯藻本」についての記事の訂正 - 達而録
*2:『汲古閣説文訂』の画像データも、東京大学東洋文化研究所所蔵貴重漢籍善本全文画像データベースにて公開されています(同治十一年の重刊本)。