陳佑真『三蘇蜀学の研究』(京都大学学術出版会、2024)を購入し、少しずつ読み進めています。著者の陳さんは私の先輩で、本当にたくさんのことを教えていただいた方です。あまりまとまっておらず、メモ書き程度にしかなりませんが、内容について印象に残ったところを書き出しておきます。

まず、序論は経学入門として初学者の方に推薦したい内容である。経学の主観性や、経学史の形成・意義といった点について、加賀栄治・木下鉄矢・池田秀三・村上哲見・土田健次郎・喬秀岩といった先学の言葉を借りながら、要領よくまとめられている。ここから、古注と新注の間に位置する北宋という時代の特異性、そしてその時代の中心にいた三蘇の経学を探ろう、とテンポよく本書の主題へ話が進んでいく。
第一章では、蘇軾が『周易』の正文に出る術語を、一書を通して固定された意味で読み取ろうとするという傾向があるという指摘が興味深い(p.68-69)。むしろ鄭玄は文脈に応じて融通を利かせていくイメージがあるから、傾向の違いがありそうだと感じた。
第二章、「『東坡書伝』は経文にきわめて能動的に参与した注釈」(p.86)というのはいい言葉。経書解釈において漢代以降の史事を引くという現象(p.101-102)は、喬秀岩『義疏学衰亡史論』で劉炫の例がいくつか引用されているが、蘇軾はより積極的だという印象を持った。
第三章、「思無邪」をめぐる蘇軾に至るまでの経学史の総論になっている側面もあり、内容が非常に豊富。というより、ある学者が立てた経説の意味を深堀りしようとすると、自然とその人に至るまでの経書解釈の歴史を明らかにしなければならなくなるというのが、この分野の面白さなのかもしれない。また、李翺『復性書』や仏典などとの関係も丁寧に書かれていて、とても勉強になった*1。
第四章~第五章は『孟子』について。福谷彬『南宋道学の展開』も改めて読み直したくなる内容になっている(この本については、『論語』の「川上の嘆」の二つの解釈 - 達而録で少し紹介した)。ここはあまり細かく読めていないので、また改めて感想を書きたい。
全体を通して、「三蘇の経書注釈を読み解く」ために、前提となる文献学的考察を行ったうえで、①まずは「どこが注疏の踏襲で、どこが北宋の他の学者の説を使ったもので、どこが新説なのか」を見分ける、②そして「旧説を改めた部分」「旧説のままである部分」それぞれの説に込められた三蘇の意図を見抜く、という手順が丁寧に踏まえられているところが、思想史研究としてあるべき形であると思った。
さて、最後に一つ陳さんとの思い出を書いておくと(勝手に書いてごめんなさい)、陳さんは博論の締切が切羽詰まりつつある時期に『易』の論文を書かれていたのですが、その時に、まず木版本のコピーでお手製の本を作り、校勘をし、自分で朱点を入れるところから勉強を始めていたのが非常に印象に残っています。
浅はかな私は、「いや、今からそこから始めても間に合わねえだろ…」なんて密かに脳内でツッコミを入れたものですが、間違っていたのは私の方で、全編にわたって精読して初めていいものが書けるのだと気づかされました。ちなみにこの論文は、無事に本博論第一章に入っています。
(棋客)