『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(早川書房、2018)を読みました。SF作家であり、翻訳家として中国SF作品の英語圏への普及に力を尽くしてきたケン・リュウによって集められたアンソロジーの日本語版です。
どれもSFの魅力がこれでもかというほどに詰まった作品で、スケールの大きな幻想世界の中に、われわれが現実社会の日常の中でふと出くわす違和感や恐怖をうまく落とし込んでいます。
では、表題作『折りたたみ北京』(作者:郝景芳)から、一節を紹介します。
この世界の北京は、第一スペース(表面)と第二スペース・第三スペース(裏面)に分かれており、まず第一の500万人が24時間を過ごし、次に第二の2500万人が18時間を、最後に第三の5000万人が8時間を過ごし、一周します。活動時間以外はスペースは「折りたたまれて」いて、順番に「交代」しながら都市が動いていきます。基本的に各スペースの間を移動することはできません。
主人公は第三に住む老刀という人物です。第三スペースでは、第一・第二から出る廃棄物の処理が基幹産業となっていて、老刀もゴミ処理場で働いています。
以下の一節は、第一スペースで交わされた、ゴミ処理に新技術を導入しようと若手の呉聞が提案し、指導的な立場にある「老人」がそれを否定する会話です。
「この提案には、たくさんの利点があります」呉聞が言う。「ええ、設備を見ました……自動廃棄物処理……化学溶剤を使用してすべてを溶解・分解してから、再利用可能な物質をまとめて抽出する……どうか、ご一考頂けないでしょうか?」
(中略)
老人は呉聞を見つめて、首を横にふる。「そんな単純な話ではない。もし、わたしが君の計画を認め、それが実行されれば、重大な結果が待ち受けている。君の方法には、労働者が不要だ。仕事を失うことになる数千万の人々を、どうするつもりだ?」
私はこの文章を読んで、以下の記事で紹介した劉錫鴻のエピソードを思い出しました。
劉錫鴻が駐英副大使としてイギリスを訪問し、新聞社の印刷機を見たときの感想が以下です。
ロンドンタイムス社を訪ねて、日に二八万部が印刷機によって一〇人たらずで刷り上げられ、一日の売上高も洋銀四千三百余元にのぼると知ると、なぜ人力で一日一人一〇〇部ずつとして、二八〇〇人の印刷工を就労させ、彼らに均しく一元半余の日給にありつく機会を分かち与え、その扶養家族を平均八人として計二万二千余人の生活をここに託させてやらないのか、なぜわざわざ機器を用いてこの万余の口食を奪うのか、とおよそ経営者の考えも及ばぬ質問をする。そして結局、問題は英国の産業の活力と民富の豊かさにあると知ると、「一事の利によって数万人を養育する」のはかえって彼らを「粗賤の仕事に安住させ……有用の心力を荒廃させ生命力の根源を閉塞させる」ことになる、その点、英人は立業に積極的で研究心も旺盛で皆が技芸を競いあう、それというのも男女とも幼時に入学して読書・天文・輿図・算法などを講じ、「皆能く智力を輝弱して一芸に就く」ように躾けられているからだと、その基礎教育の充実に思いを致す。(溝口雄三『方法としての中国』(東京大学出版会、1989)、p.278-280)
個人的には、こういう話には非常に中国らしさを感じます。
ちなみに、ケン・リュウは序文で、いわゆる西側諸国の読み手が、中国SFの要素を安直に中国の政治や社会へのメタファーとして読み取ることに、警鐘を鳴らしています。ですから、このように一部を切り取って似た部分を指摘するのは、少々危なっかしい面もあります。
中国SFに関する専門の研究もいろいろあるらしいので、読んでみたいですね。
(棋客)