達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

秦鼎『世説箋本』について(2)

 前回に引き続き、秦鼎『世説箋本』を読んでいる「山の学校」の授業から、印象に残っている箇所を取り上げてみます。今回は、『世説新語』言語中の三十一章、王導の逸話から。

 過江諸人,每至美日,輒相邀新亭,藉卉飲宴。周侯坐而歎曰:「風景不殊,正自有山河之異!」皆相視流淚。唯王丞相愀然變色曰:「當共戮力王室,克復神州,何至作楚囚相對?」

 『世説箋本』の当該ページの画像は以下です。

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_e1956/bunko31_e1956_0002/bunko31_e1956_0002_p0008.jpg

 

 授業で問題となったのは、この画像の「王丞相」以下にある双行注。

 ①丞相別傳曰:「王導字茂弘,瑯邪人。祖覽,以德行稱。父裁,侍御史。導少知名,家世貧約,恬暢樂道,未嘗以風塵經懷也。」

 ②顧惇量按:臨川原本載「温嶠初為劉琨使,來過江。抱黍離之痛。及詣王丞相。既出,懽然言曰:「江左自有管夷吾,此復何憂。」要語自不可刪。

 ③今作補註於此,凡原本所有王本所無,審其必不當刪者,或仍増本文,或補入夾註。至條綴門類,有原本在此而王本在彼。刪擇字句,有此本則然,而他本不然者。今隨處審量,或仍從原本,或悉依王本,或別採善本,未嘗逐條摘注。合觀全豹倣此可見。

 このうち①「丞相別傳」~「未嘗以風塵經懷也」は、『世説新語』劉孝標注をそのまま使っています。一方、②「顧惇量按」より以下は、劉孝標注にはない部分で、かつ『世説新語補』にもない部分なので、普通に考えると、『世説箋本』で付加された部分ということになります。

 「顧惇量按」に引かれる「臨川原本」(=『世説新語』)は、以下の言語篇の話を節略したものです。

 温嶠初為劉琨使,來過江。于時江左營建始爾,綱紀未舉。溫新至,深有諸慮。既詣王丞相,陳主上幽越,社稷焚滅,山陵夷毀之酷,有黍離之痛。溫忠慨深烈,言與泗俱,丞相亦與之對泣。敘情既畢,便深自陳結,丞相亦厚相酬納。既出,懽然言曰:「江左自有管夷吾,此復何憂?」

 『世説新語』には載っているこの逸話は、『世説新語補』では削られています。しかし、どちらも王導の話で内容も関連しており、両方ある方がよいでしょう。なのでこの逸話は「要語自不可刪」(重要な話なので削ってはならない)と注釈されているわけです。

 ③「今作補註於此」より以下は、「今作~」の語から考えるに、おそらく「顧惇量按」の範囲外で、秦鼎が注釈を書いたところだと思われます。むろん何かの種本がある可能性はあるのですが、少なくとも前回紹介した桃白鹿『世説新語新考』には載っていません。

 この部分は、本書の編集方針を説明した部分と言えそうです。『世説箋本』には秦鼎の序文などは附されておらず、秦鼎の方針などはよく分からないので、こういう部分を拾っていくしかありません。③の内容をまとめておくと、こういった感じになります。

  1. 凡原本所有王本所無,審其必不當刪者,或仍増本文,或補入夾註。
    世説新語』にはあるが、『世説新語補』にはない条については、必ず削るべきものであるかどうかを裁定し、本文に増補するか、夾註に補う。
  2. 至條綴門類,有原本在此而王本在彼。
    篇目の分類について、『世説新語』ではこちらにあり、『世説新語補』ではあちらにあるというものがある。
  3. 刪擇字句,有此本則然,而他本不然者。
    字句の選択について、この本ではこうだが、他の本ではこうではない、というものがある。
  4. 今隨處審量,或仍從原本,或悉依王本,或別採善本,未嘗逐條摘注。
    いま、場合によって調べ考えて、ある場合には『世説新語』に従い、ある場合には『世説新語補』に従い、ある場合には善本を採り、(そのことは)各条に注してはいない。

 以上、なんとなく内容は分かるのですが、最後に残る疑問は②の「顧惇量按」の部分。「顧惇量」を古籍庫で検索すると、『(道光)蘇州府志』に伝があり、字は萬陶、乾隆15年(1750)の優貢に挙げられている人がヒットします。『愛日吟廬書畫録』『歴代畫史彙傳』などにも名前が見え、書画の収集でも名がある人のようです。

 ただ、なぜこの顧惇量の説が『世説箋本』に引かれているのか、というのは私にはよく分かりません。『世説新語補』和刻本が安永八年序(1780)、秦鼎『世説箋本』が文政九年(1826)刊本なので、一応年代的には矛盾はしないのですが、秦鼎が顧惇量説を見たルートが分からないのです。

 一応、現状の推論として、日本に渡来した『世説新語補』の中に、何らかの形で顧惇量の手を経たものがあり(たとえば顧惇量の蔵本だった、とか)、そこに顧惇量説の書き込みが入っており、それを秦鼎(またはそれ以前の種本の筆者)が見て利用した、と想像しておきます。

(棋客)