達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

『公羊傳疏』引『孝経疏』について(2)

 前回の続きです。『公羊傳疏』に『孝経疏』という言葉が引かれる例は、三ケ所あるようです。前回紹介したものも含めて、下に掲げておきます。

・『公羊傳』襄公二十九年疏
 云「孔子曰,三皇設言,民不違,五帝畫象,世順機,三王肉刑揆漸加,應世黠巧姦偽多」者、『孝經說』文。言三皇之時,天下醇粹,其若設言民無違者,是以不勞制刑,故曰「三皇設言民無違」也。其五帝之時,黎庶已薄,故設象刑以示其恥,當世之人,順而從之,疾之而機矣,故曰「五帝畫象、世順機」也。畫,猶設也。其象刑者,即唐傳云「唐虞之象刑上刑赭衣不純」,注云「純,緣也。時人尚德義,犯刑者但易之衣服,自為大恥」。「中刑雜屨」,「屨,履也」。「下刑墨幪」,「幪,巾也。使不得冠飾。『周禮』罷民亦然,上刑易三,中刑易二,下刑易一,輕重之差」。「以居州里,而民恥之」,是也。三王之時,劣薄已甚,故作肉刑,以威恐之。言三王必為重刑者,正揆度其世,以漸欲加而重之。故曰「揆漸加也」。當時之人,應其時世,而為黠巧作姦偽者彌多于本,用此之故、須為重刑也,云云說備在孝經疏。

・『公羊傳』昭公十五年疏
 解云:何氏之意,以資為取,言取事父之道以事君,所以得然者,而敬同故也。以此言之,則何氏解『孝經』與鄭稱同,與康成異矣,云云之說在孝經疏。

・『公羊傳』定公四年疏
 解云:何氏之意,以資為取,與鄭異。鄭注云「資者,人之行也」。注四制云「資,猶操也」。然則言人之行者,謂人操行也,云云之說具於孝經疏。

 三例ありますが、下の二つはどちらも何休注が引く『孝經』の「資于事父以事君而敬同」を説明するところです。

 この『孝経』の引用文の「資」の字を、何休は「取」と解釈するのに対し、鄭玄は「人之行也」と解釈していて、一致していません。ここから議論が生じたようです。全く異なる部分に登場する二つの『孝経』の引用に対して、同じように注釈がつけられていることから、『公羊疏』がそれなりに一貫した体裁を持っていることが分かります。

 さて、ここで話題になっている『孝経』の解釈の相違ですが、劉炫『孝経述議』の復元本や、邢昺疏を見ても、特に議論にはなっていません。むしろ、鄭玄の『周禮』考工記の注などから、「資、取也」と引く例を持ってきて、補強材料にしています。つまり、議論のポイントがあまり一致しないわけです。(当然ながら、皮錫瑞『孝経鄭注疏』は「資、人之行也」の鄭注を引いてその意図を解説しています。)この問題については、また次回の記事で考え直してみます。

 ちなみに、この部分、『孝経』孔安国注も「資、取也」に作り、玄宗注もこれを踏襲しています。しかし、『公羊疏』では何休説と鄭玄説は引用するのに、孔安国説は引いていません。偽作とされる『孝経』孔安国注を、『公羊疏』の作者は見ることができなかったのだと思います。

 さらに、よくよく考えると、上の注釈においてわざわざ鄭玄説を引く必要は全くありません。しかも、『孝経』注以外には、鄭玄が「資、取也」という訓詁をつける例は色々あるようです。『公羊疏』が鄭学を旨とすることはよく指摘されますが、ここでわざわざ『孝経』鄭注を取り上げて議論をしていることにも、その一端が現れているように思います。

 

 本題に戻って、「云云之說具於孝經疏」とは、どういうことでしょうか。

 ある議論について、「他の部分を参照せよ」という注釈は、疏を読んでいると時折出くわします。例えば、『礼記正義』を読んでいると、「此義已具於王制」(祭法)、「義已具於文王世子」(禮運)といった記述が出てきて、それぞれ『礼記』王制の疏、文王世子の疏を見ると、その説の詳しい解説が載っている、というわけです。同じ例は、『儀禮疏』や『周禮疏』でも見ることができます。

 ただ、これらの例は、同一の書の中の別の部分を指す言葉です。今回の例は、『公羊疏』の中で『孝経疏』という他の本を参照する関係にあり、これとはちょっと違います。

 書名に対して著者名がつけられていないことを考えると、この現象は、同一著者でないと説明がつかないと思います。つまり、『公羊疏』の著者は『孝経疏』も書いていた、と考えるのが自然でしょう。

 

 いま論文を簡単に探せる環境にいないので、綿密なチェックはできていないですが、手持ちのところでは重澤俊郎「公羊傳疏作者時代考」(『支那學』第六卷第四號)に上記の現象についての記述が少しありました。重澤氏はそれほど詳しく述べているわけではありませんが、同様に、『公羊疏』と同一著者の著作に『孝経疏』があったのだろうと推定しています。

 

 次回、もう少し整理して、最後のまとめにします。

(棋客)