達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

齋木哲郎『後漢の儒学と『春秋』』について(2)

 前回紹介した鄭玄『發墨守』『鍼膏肓』『起廢疾』は現存しない佚書であり、様々な輯佚書が作られています。

 仮に『増訂四庫簡明目録標注』によって挙げておくと、漢魏叢書本、藝海珠塵本、問經堂叢書本、范述祖本、孔廣森『通德遺書所見録』本、袁鈞『鄭氏佚書』本といったものがあるようです。

 前回紹介した、斎木哲郎『後漢の儒学と『春秋』』(汲古書院、2018)では、鄭玄『發墨守』『鍼膏肓』『起廢疾』について、

 叢書集成初編所収の問經堂叢書本、王復輯『發墨守』『鍼膏肓』『起廢疾』を底本として使用する。ただし、この本には誤字が比較的多く、漢魏遺書鈔本の『公羊墨守』『左氏膏肓』『穀梁廢疾』によって字を改めた所がある。(p.238)

 と書かれています。

 

 ただ、古典研究において、原典を引用する際、その情報源にきちんと当たるのはまず基本と言うべき態度でしょう。今回の場合であれば、輯佚書が集めてきた材料の拠り所を調べる必要があるわけです。「輯佚書を底本にして元の資料と校勘」ならまだしも、輯佚書と輯佚書を校勘するというのは、ちょっと不思議というか、あまり意味のない校勘と言わざるを得ません。(実際、字の異同は色々と見つかりました。*1

 輯佚書には、その輯佚者による編集が加わっているのが常です。例えば、ある一つの佚文に対して数ヶ所の引用例が残っている場合、その両者を繋ぎ合わせて一つの文章に整理してしまうケースは、その代表的なものでしょうか。

 もちろん、その情報源を見ることが叶わない場合もあり、それなら仕方がないのですが、鄭玄『發墨守』『鍼膏肓』『起廢疾』の輯佚元は大体が普通の注疏です。

 

 さて、そうはいっても、まずざっと全体を確認する場合や、その佚書の内容を一通り調べたい場合には、当然ながら輯佚書は非常に大きな武器になります。というわけで、たくさんの種類の輯佚書がある場合に、そのうちのどれが優れているかを確認しておくのも、必要な手続きということになります。

 そして調べてみると、ただの輯佚書ではなく、清人によって議論が加えられより便利になった本が見つかることもよくあります。今回の場合、皮錫瑞『發墨守箴膏肓釋廢疾疏證』がそれに当たります。(もちろん場合に拠りますが、単純に新しい輯佚本ほど整理が行き届いている、とも言えます。)

 

 ちなみに、自序にはこんなことが書いてありました。

 『發墨守箴膏肓釋廢疾疏證』自序

 三書既佚、輯本以袁鈞《鄭氏佚書》為詳。惟袁亦有疏失、以孔疏為鄭義、且以孔引蘇寬說為鄭君自引、尤謬誤之顯然者。

 皮錫瑞に拠れば、皮氏以前なら袁鈞『鄭氏佚書』が最も良いようです。現在なら、やはり皮錫瑞本が最も詳細かと思います。

 皮錫瑞はここで、袁鈞本の輯佚のおかしな部分も指摘しています。また今度確認しておきたいと思います。

 

 今回のところはとりあえず、前回紹介した『左傳』昭公七年の条について、『發墨守箴膏肓釋廢疾疏證』を見ておきましょう。

『發墨守箴膏肓釋廢疾疏證』箴膏肓疏證

 七年傳、子產曰「鬼有所歸、乃不為厲。吾為之歸也。」

 《膏育》孔子不語「怪力亂神」。以鬼神為政、必惑衆、故不言也。今《左氏》以此令後世信其然、廢仁義而祈福於鬼神、此大亂之道也。子產雖立良止以託繼絶、此以鬼賞罰、要不免於惑衆、豈當述之以示季末。

 箴。伯有、惡人也、其死為厲鬼。厲者、陰陽之氣相乘不和之名、《尚書五行傳》「六厲」是也。人死、體魄則降、魂氣在上、有尚德者、附和氣而興利。孟夏之月「令雩祀百辟卿士有益於民者」、由此也。為厲者、因害氣而施災、 故謂之厲鬼。《月令》「民多厲疾」、《五行傳》有「禦六厲」之禮。《禮》「天子立七祀、有大厲。諸侯立五祀、有國厲。」欲以安鬼神、弭其害也。子產立良止、使祀伯有以弭害、乃《禮》與《洪範》之事也。「子所不語、怪力亂神」、謂虛陳靈象、於今無驗也。伯有為厲鬼、著明若此、而何不語乎。子產固為衆愚將惑、故並立公孫泄、云「從政有所反之、以取媚也。」孔子曰「民可使由之、不可使知之。」子產達於此也。

 疏證曰劉逢禄評曰「如良霄宜繼、子產宜早立良止而黜駟帶、公孫段、以弭厲於未然。如良霄宜誅、則奠其游魂、《禮》固有族厲之事矣。左氏好言怪力亂神之事、非聖人之徒也。」錫瑞案《左傳集解》曰「民不可使知之、故治政或當反道、以求媚於民。」正義曰「反之、謂反正道也。媚、愛也。從其政事治國家者、有所反於正道、以取民愛也。反正道者、子孔誅絶、於道理不合立公孫泄、今既立良止、恐民以鬼神為惑、故反違正道、兼立公孫泄、以取媚於民、令民不惑也。段與帶之卒、自當命盡而終耳、未必良霄所能殺也。但良霄為厲、因此恐民、民心不安、義須止遏、故立祀止厲、所以安下民也。」引何休《膏肓》云云。據杜孔申《左》、與鄭《箴》意合、蓋即本於鄭《箴》。《左傳》曰「鄭人立子良、子良辭、乃立襄公。襄公將去穆氏、而舍子良。子良不可、乃舍之、皆為大夫。」傳又曰「子良、鄭之良也。」案、子良有讓國之美、七穆並列卿位、皆由子良。伯有、子良之孫、雖有酒失、亦無大罪。子晳以私怨、專伐伯有。諸大夫皆祖子晳、不念子良之功、而使其後先亡。此極不平之事。惟子產能持公義、哭歛伯有、乃不明分功罪、為之立後、必使伯有為厲而後立之、固無辭於「以鬼賞罰」之譏矣。《五行傳》作「六沴」、鄭《箴》引云「六厲」、則 「厲」「沴」古通用、鄭君所見《五行傳》當有作「六厲」者。

 ちなみに「謂虛陳靈象、於今無驗也。」の句点は、十三経注疏整理本の句点も、皮錫瑞全集の句点も同じくこのように作っています。やはりこれが正しいと思います。

 鄭玄説を理解する上では、太字にした『正義』の解説が最も分かりやすいでしょうか。結論としては、「固無辭於「以鬼賞罰」之譏矣。」ということで、何休の批判を退けています。

 

 さて、少し調べてみたところ、関連する論文や書評がありましたので紹介しておきます。一応、どちらも目を通してみました。

田中麻紗巳「鄭玄「發墨守」等三篇の特色」(『日本中国学会報』第三十集、1978)

・井ノ口哲也(書評)齋木哲郎著『後漢儒学と『春秋』』(『日本秦漢史研究』第19号、2018)

 

(棋客)

*1:①p.229、僖公三十年の条、「經近立言」→「經近上言」
②p.239、注11、多くの輯佚書では儀礼疏に見える同条の佚文を大幅に付け足している。