達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

関西クィア映画祭に行ってきました

 先週まで大阪・京都で行われた「関西クィア映画祭」に行ってきました。大阪会場は一日だけ、京都会場は三日間の参加です。とにかく大満足の映画祭でしたので、今日から何回かの記事に分けて、感想を書き記していきます。

kansai-qff.org

 まず、観た映画をメモしておきます。

9/6(火):大阪

9/23(金・休):京都

9/24(土):京都

オールナイト上映(全部は観れませんでした)

9/25(日):京都

 

 以下、感想です。

 あまり通しで見られていない私が言うのもおこがましいのですが、プログラムに運営の方々の意図が込められていて、作品同士の比較をしながら自然と視野が広がっていくような感覚を受けました。

 たとえば、オールナイト上映の最初の短編3つは、このような順番になっていました。

  • 夫=夫
    イカップルが(おそらく「結婚」して)穏やかに幸せに暮らす話。誰もが幸せに暮らしていい、という前提の前提を共有するような映画。
  • Veils
    レズビアンカップルが、(「結婚」の代用として)ブライダルフォトを撮るに当たって、社会の無理解と戦う話。今の社会ってこんな感じ、という前提を共有する立ち位置。
    ただ、以上の二本は、結婚という関係の結び方が前提になってくる方向は同じです。
  • サラダは人生
    小気味よいボケと歯がゆい日常がリズムよく展開しながら、ともに戦う同居人二人を中心に描いた映画。人と人の関係の結び方、そしてそれをどのような言葉で表現するか(させられるか)ということについて、考え直すことができる作品。
    この作品では、「結婚」や「恋人」といった規範自体が問い直しの対象になっています。(※ちなみに本作は、監督のホームページから動画を見ることができます。→MARI OKADA

 ちなみに、結婚という観点から見ると、「世界は僕らに気付かない」では、結婚が幸せの象徴として描かれる点では上の二作品に似ていますが、主人公二人+アセルシャルの三人で家族を作る話も出てきています。個人的には、ここをもう少し丁寧に描いてほしかったように思います。

 

 さて、もちろん他にも面白い作品が沢山ありました。

 特に「ノー・オーディナリー・マン」は構成が凝っていて、細かなところに監督の意図を感じました。来週、詳しい感想をアップしようと思っています。本当はもう一度見返したいところですが、アメリカ版のアマゾンでしか観られないようですね。

(棋客)