引き続き、秦鼎『世説箋本』を「山の学校」の授業で読んで印象に残っている箇所をメモしておきます。今回は、『世説新語』方正篇より、向雄(臣下)と劉淮(上司)の間に確執があり、武帝(皇帝)が仲直りを命じたものの、向雄が断固拒否した、というなかなか面白い話。(今回から、『世説新語』の本文には簡単な訳をつけるようにしました。ただの授業のメモのつもりでしたが、せっかくなら多くの方に読んで楽しんで欲しいからです。)
向雄為河內主簿,有公事不及雄,而太守劉淮橫怒,遂與杖遣之。雄後為黃門郎,劉為侍中,初不交言。武帝聞之,敕雄復君臣之好,雄不得已,詣劉,再拜曰:「向受詔而來,而君臣之義絕,何如?」於是即去。武帝聞尚不和,乃怒問雄曰:「我令卿復君臣之好,何以猶絕?」雄曰:「古之君子,進人以禮,退人以禮;今之君子,進人若將加諸膝,退人若將墜諸淵。臣於劉河內,不為戎首,亦已幸甚,安復為君臣之好?」武帝從之。
向雄が河内主簿(官職名)だったとき、向雄には関わりのないことで問題が発生した。太守の劉淮は向雄を(濡れ衣なのに)怒って、鞭打ちをして追放した。向雄は後に黄門郎に就き、劉淮は侍中となったが、まったく言葉を交わさなかった。武帝はこれを聞いて、向雄に対して、上司と部下のよしみを戻すように命じた。向雄はやむなく劉淮のもとに言って、拝礼して「私は勅命を受けてここに来たが、上司と部下のよしみはもう切れていると思う。どうだろう?」と言い、すぐさま立ち去った。武帝は和解が成立しなかったことを聞いて、怒って向雄を問い詰め、「私は君に和解を命じたのに、どうしてまだ絶交しているのか?」と言った。向雄は「昔の君子は、人を薦めるにも礼に則り、退けるにも礼によりました。今の君子は、人を薦めるときには膝に抱えるようにし、人を退ける時には谷底に突き落とすようにする。私が劉淮に対して、敵軍の将軍となって攻め入らないだけ、まだラッキーではないですか。どうして和解などできましょうか?」と言った。武帝は従った。
『世説箋本』では以下の部分が該当します。
ここは劉孝標の注も色々付いているのですが、今日はそちらではなく、『箋本』の頭注を見てみましょう。
・觽云、公事有失、其事不與及於雄。
・鈔撮、王弼以公事免。……公事、皆謂吏牘公案事也。
・淮、當作准。詳釋。
・鼎按、名字義、蓋取諸平直準縄。
・索解、向受、當作雄受、以姓向誤。
・何如、言於足下何如。
・按、長官屬吏称為君臣、猶以長田忠致為弑主。鼎有別論。
それぞれ、対応する原典を示しておきます。
- 「觽云」→『世説新語補觽』https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100353941/34?ln=ja
- 「鈔撮」→『世説鈔撮』https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100344911/80?ln=ja(ただしここに該当箇所無し。やはり『世説鈔撮集成』を指すのだろうか?)
- 「釋」→『世説音釋』https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/300057413/81?ln=ja
- 「索解」→『世説新語索解』https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100344913/44?ln=ja
なお、「觽云」は「索解」にそのまま引かれているので、『箋本』のが孫引きという可能性も否定できません。
最後に「鼎有別論」とありますが、これはこの問題について秦鼎がどこか別の場所で議論していることを示しています。
他の箇所で見た似たパターンとして、秦鼎が『文選読本』という別本を参照せよ、と頭注に書いているところは見たことがあります。→https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_e1956/bunko31_e1956_0003/bunko31_e1956_0003_p0018.jpg
ただ、ここでいう「別論」がどこにあるのか、たとえば本書の中の別の場所なのか、それとも何か別の本を指すのか、といったことはまだよく分かっていません。
さて、今回の『世説新語』の本文で向雄が最後に述べている話は、『礼記』檀弓下に見えるものです。
穆公問於子思曰:「為舊君反服,古與?」子思曰:「古之君子,進人以禮,退人以禮,故有舊君反服之禮也;今之君子,進人若將加諸膝,退人若將隊諸淵,毋為戎首,不亦善乎!又何反服之禮之有?」
穆公が子思に質問して「反服の礼(今は離れた元の君主が死んだとき、その君主の喪に服するという礼)のは、古えの方法ですか?」と言った。子思は答えた。「古えの君子は、人を取り立てるにも礼により、人を退けるにも礼によりました。よって、もとの反服の礼があったのです。今の君子は、人を取り立てる時には膝の上に載せるようにし(過度に持ち上げて)、人を退ける時には崖から落とすようにする(過度に痛めつける)。敵軍の長となって攻めてこないだけマシではないでしょうか。どうして反服の礼などがありましょうか。」
昔からこういう言い回しがあるのか、というのがちょっと面白いところです。
(棋客)