達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

中純夫『劉宗周の陽明学観について-書牘を中心として-』―論文読書会vol.4

※論文読書会については、「我々の活動について」を参照。

本論文はオンライン上で公開されています。

 

【論文タイトル】 

中純夫『劉宗周の陽明学観について-書牘を中心として-』(『陽明学』14号、2002)

 

【先行研究】


難波征男「劉台念思想の形成―王学現成派批判に即して―」(九州中国学報 20巻 1975)
古成美「劉蕺山対陽明致良知説之継承与発展」(古成美『明代理学論文集』1990)
楊楚漢「従劉蕺山対王陽明的批評看蕺山学的特色」(『劉蕺山学術思想論集』1998)
東方朔『劉宗周評伝』(1998)
黄敏浩『劉宗周及其慎独哲学』(2001)

 

【要約】

 

 劉宗周の長子劉汋が作成した年譜によれば、劉宗周の王陽明に対する評価は三変した。それは次のようにまとめられる。懐疑的(始疑之)→肯定的(中信之)→否定的(終而弁難不遺余力)。書牘を中心としてしてこの説を再検証する。
初期の批判は通説の通り。劉宗周は、陸学王学は「本体」を重視して「工夫」を軽視しており、禅に近いと批判する。
 初期から中期にかけて、劉宗周は慎独を重視する立場を確立する。劉宗周が王陽明批判を改めて、肯定に転じたのは、慎独説と王陽明致良知説が完全に合致すると心証を得たからであった。つまり王守仁の説く良知が「独」と同義であること、従って致良知の実践が「慎独」に他ならないと確信した。その根拠は、王陽明の「良知只是独知時」という言葉による。顕著な特色として挙げられるのは、劉宗周が、慎独を未発の工夫として位置づけていることである。中期の劉宗周は、喜怒哀楽未発時の気象を体認することを以て慎独の工夫と見なし、これを工夫の第一義としていた。
 後期に至って、劉宗周が誠意を重視したことと王陽明批判は関連している。朱子・陽明は意を「心之所發」 としているのに対し、劉宗周は「心之所存」と定義している。劉宗周は朱熹や王守仁のように意を心の発現したものとは見なさず、むしろ心を主宰するものと見なす。より具体的に言えば、王守仁の四句教では、心が具体的に発現する場面において善悪が分岐し、その善悪を辨別識別するはたらきは良知に帰せられているのに対して、劉宗周は、善を好み悪を悪むというはたらきの主体として意を把握する。意を心の主宰と規定する以上、その意を対象とする誠意の工夫はやはり未発に基軸を置くものとなる。
 劉宗周は未発の工夫を重視した。一方で意を心の所発と規定する王陽明の誠意説は、実践論としては格物致知へ収斂するものであって、それは已発における為善去悪の営為と見なされたが故に、劉宗周の誠意説とは相容れぬものとして否定されるに至った。また、未発の工夫を重視する点で誠意と慎独は同じであって。工夫論として特段の変化があったようには思われない。
 前期と中期の区別は、「良知即是独知時」という王陽明の言葉に対する評価を指標とすることができる。中期と後期の区別は、意の定義を指標とすることができる。

 

【議論】


朱子の『中庸』理解 
戒慎恐懼→未発→天理 
慎独→已発→人欲 

劉宗周『中庸』理解
慎独→未発→人欲も含めた人間の性か?(明末的人欲肯定の流れ?)

劉宗周:意→心(意、心之所存):意は誠意・慎独の工夫の対象
王陽明:心→意(意者、心之所発)
朱熹 :心→意(意者、心之所発)