達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

日記(2025.4.29-2025.5.10)

2025.4.29

 一か月前ぐらいから唐突にブログに日記の更新を交えるようになったけど、必ずしもその日の出来事をその日に書いているわけではない。大体数日分でまとめて書いてる。だからどうってことは無いんだけど、よく書いててマメだねって思う人がいたら、それはちょっと違う。

 ちなみに、いつもの週一回の記事も、別に毎週執筆作業をしているわけではない。一か月に一回ぐらいで一気に書き溜めていることが多い。それを予約投稿して、さも週一回更新されているかのように見せかけているだけだ。「週一回更新」の形にしているのは、私がなんとなくその方が好きで、長続きしそうな気がしていたから。実際数年続いているわけで、その予感は正しかったわけだ。

 さて、数日前から、二週間ぐらい前にリリースされた、Kashikoi Ulysses(賢いユリシーズ)の新アルバムを何度も聴いている*1。一音一音への果てしないこだわりと、生活者としての孤独・寂しさ・怒り・抵抗が強烈に表現された歌詞が素晴らしくて、聴くたびに眼がうるんでしまう。この歌たちがあれば「本当に大丈夫」で、当分生きていられそうな気分になる。それと同時に、自分も何らかの形でこういう表現をしていきたいという力をもらえるアルバムだ。それはブログを書くことだったり、友達を話すことだったり、デモに行くことだったりするだろう。

 

 いつになれば歌える? 孤独な人を癒す音楽。

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2025.4.30

 一年以上ぶりにゼルダ(ティアキン)を起動した。ボスを倒すのを後回しにして、ずっと地下の根を探し続けている。あと二個で地図が全部開くところまで行った。ストーリーに面白さはないが、探索がとにかく楽しいゲームでついつい夢中になってしまう。

2025.5.1

 4月の収入はややプラスで落ち着いたが、5月以降は現状では赤字になりそう。当分は貯金を目減りさせながら生きていくことになりそうだ。非常勤講師をもう一~二コマやったほうがいいが、すぐには始められない。

★もし漢文の読み方を個人レッスンで教わりたい方がいたら、一コマ2000~4000円(時間と相談)でやりますので、ぜひ連絡ください。訓読でも、中国語で読む方法でも、どちらも対応できます。

★他にもお仕事依頼承ります。経験のある仕事は、編集、校正、日本語翻訳(中国語・英語)、インタビューの文字起こし、など。あとhtml, cssも一通りできます。

 ↑切実なのでよろしくお願いします。

 さて、今日は、Tiktokのショート動画を見ていて無限に時間を溶かしてしまった。これが楽しいなら別にいいのだが、気が付くと疲労感と徒労感が溜まっていて、あまりいいことは無い。でも疲れているときほどTiktokを見てしまう。なぜ、Tiktokから手が離れなくなるのだろう?

 自分なりに考えてみたのだが、これはやっぱり「スワイプすると動画が出てくる」というシステムが鍵になっていると思う。仮に「15秒~45秒の動画が自動で切り替わって出てくる」というシステムだったら、こんなに熱中しないだろう。tiktokでは、「スワイプする」という身体的負担(と書くと大げさだが、とにかくそういうコストの一種)と、それによって得られる報酬のバランスがちょうど良いので、離れるタイミングを失ってしまうのだと思う。

 これが自分から新しいコンテンツを「探した」結果ならまだいいのだが、実際はただスワイプしているだけで、探しているというより「流れてきている」だけであって、それがまた虚無を煽る(しかしその虚無性がまたコストと報酬のバランスにマッチしているのだ)。

 念のため書いておくと、Tiktokのコンテンツが全部つまらないとか、酷いとか言っているわけでない。むしろ今のTwitterを見るよりは毒性が低いと思うし、こだわって作られたいいコンテンツもある(だからこそ「探そう」としてしまうのだから)。ただそのシステムに依存性が強いという話だ。

2025.5.3

 夜、新宿でモルグモルマルモという好きなバンドのライブ(@red cloth)と、高島鈴さんのバー(@ビキニマシーン)があった。たまたま同じ時間帯にすぐ近所でやっていたので、はしごして両方に参加した。本当に楽しい夜だった。久々に再会する人やずっと気になっていた人と喋れたりして、友達が増えたかも、と思った。

 どちらのイベントも、わざわざ約束しなくても、とりあえず行けば何となく友達がいるという(私にとって最高の)場所だ。その二つのコミュニティは、人がそんなに被っているわけではないけど、なんとなく空気感が似ていて、私にとっては息がしやすい空間である。

 そういう場所が東京で、しかも近所で同時に発生しているのは、結構奇跡的なことだ。そもそも東京だと、「目的の場所があってそこに遊びに行く」という形でしか遊べないことが多い。遊びの場所、仕事の場所、生活の場所……が分断されていて、誰かが「集合」の音頭を取らないと集まれない。そして集まる場所にお金を取られ、終電がある。とにかく場所を作ることのハードルが高い。それが東京だ。

 私が楽しんだ二つのイベントだって、新宿という資本主義の権化の街で行われたものであって、あくまでその枠内のものではある。でも、その中での抵抗の軌跡が、何らかの形で表現されているところに、自分が魅かれるものがあるのだと思う。

 モルグのライブは京都(特に吉田寮)で何度も観たことがあるんだけど、いつ見ても、抜群に楽しそうに、そしてその場にいる人を楽しませようと、心地よい空間を作ることに全力になってくれるバンドだと思う。

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 ちなみに、ライブには元「たま」の知久さんの出番もあって、あまりにすごすぎて絶句した。ミニギター一本で、あれだけ細やかな音色を作り上げられる人が他にいるのだろうか。しかも、ギターや声だけではなく、佇まいや顔の変化など、あらゆる表現が一つの世界観を作り上げていて、観客全員が引き込まれていくのを感じた。

2024.5.4

 ポケポケの新環境でマスターボール級に行った。オドリドリデッキを使用。先月でやめると言っていたがもう一回やったのは、新環境になった直後の対戦が楽しすぎたから。環境初期のうちなら、練度が上がったデッキだと明確にプレイングの差で勝てることが多いので嬉しい。でも環境が煮詰まるとそういうことは減ってくる。つまり環境が変わった直後で楽しみ尽くすのがいい塩梅なんだろう。

2024.5.5

 同居人の実家で、旧友4人と餃子パーティーを開催。ものすごく色んな話をした。私も自分の話をできた。パートナーとか恋愛とか、そういうものをどうとらえているかって話もした。ちゃんと書いた方がいいなと思ったので、これはまた改めて言葉にしたい。

 あと、覚えている中でここに書けそうなのは、映画の話をしたこと。まず、悲しき怪獣・ガメラの話。ガメラは心優しい怪獣なのだが、怪力すぎて助けようとしてあれこれ破壊してしまい、人間には敵だと誤認されてしまう。次に、平成狸合戦ぽんぽこの結末の話。せめて悲しい話であることは分かって欲しい。あとは録画されていたTENETを観て、絵の強さに歓声を上げながら好きなポイントを語り合った。

2025.5.6

 好きな映画の「バベットの晩餐会」が録画リストにあったので、鑑賞した。改めていい映画だと思った。一応、大きなテーマとしては、欲望(本作では味覚)の本能的な歓びを否定する規範(いわゆる「禁欲」が正しいという規範)を解体する話ととらえられるだろう。そしてその上で、そのための手段である「料理」を、芸術という枠組みで最後にまとめるのがよくできていると思う。

2025.5.7

 NHKのドキュメンタリー「事件の涙」の「そして、研究室の一室で。九州大学、ある研究者の死」を観た。自衛隊学校でお金を工面しながら勉強し、九州大学に入り、憲法学の研究者になったが、奨学金の返済もあって困窮に苦しんだ。経済破綻を迎え、研究室で焼身自殺した。義理堅い人で、死ぬ前にお世話になった人に贈り物をあげていた。当人の「学力や能力があっても、それ以上先に進もうと思った時には、すべて経済的な力が必要になる」という言葉は重い。非常勤講師の厳しい現実をよく伝える内容で、インタビューされている研究者が自分の姿と重ねて語っていたところが印象的だ。

 全体を通して、大学政策の失敗や学問・研究の危機は取り上げられていたが、そもそも困窮者の支援(生活保護など)が圧倒的に不足していることにも問題の根幹があると思う。加えて、マッチョなアカデミア文化で育った研究者は、そういった支援と繋がることを躊躇いがちという面もあるような気がした(この被害者の方がそうなのかは分からない)。

2025.5.8

 新発売された『ハンチョウ』20巻を読んだ。『ハンチョウ』はほとんど男しか出てこない話なのだが、不思議とあまりトキシックではなく、男らしさの規範を解体しているように見えるところもある。ストーリーのノリも初期から若干変化しているのだが、それもいい方向に向かっていると思う。この変化は、ネタ不足によるものと考えるより、登場人物の増加によるコミュニケーションの多様化や、読み手の需要を汲み取った結果によって生まれたものと考えてみたい。男性学的な観点から論じてみたい漫画だ。

 ついでに印象的なキャラクターを挙げておく。

 まずは宮本。悪の企業・帝愛の堅物社員だったのだが、大槻にほだされて、自分だけの楽しみを覚えていく。熾烈な競争社会を乗りこなしながら、「人間・宮本としてのチュロス」をあげることを明言するまでに(つまり、組織にフルコミットしない、自分だけの「自分」の存在を意識するまでに)変化した。

 次に、牧田。シングルファザーで、会社ではよき相談役として、家庭では二人の息子のよき父親として、気の抜けない日々を送っている。日々のストレスから息子に会うことを嫌に思う自分がいることに気が付いた牧田は、初めて自分自身を「カウンセリング」する。

 最後に、大槻。いつも隙が無く、細部にまでこだわりを捨てず、(自分の楽しみを見つけることにかけては)完璧な人という描かれ方をしてきた。その大槻もとても魅力的なのだが、最新刊では、「コーヒー」に対しては少し違う楽しみ方をしてきたことが示される。大槻はコーヒーにこだわりを見せてきたように見えるが、実は詳しいフリをしてきただけであり、でもそれでも、やっぱりコーヒーが心から好きなのだと、沼川に語る。

 以前の大槻なら、こんなこと(大槻のスタンスからすれば、自分の一種の「弱み」になること)を沼川に語るなんてことは無かっただろう。では、その変化をもたらしたものは何なのか?じっくり考えてみたい。

2025.5.10

 現代フェミニズム研究会に行ってきた(→現代フェミニズム研究会に行ってきました - 達而録)。

 夜は別のイベントに行こうとしたのだが、疲れ果てていて、30分歩いて会場の入り口まで行ったのに、中に入らずに引き返してしまった。何となくその場のノリが合わない感じもあった。悲しかったけれど、入り口まで行ってもそこで「ダメそう」となれば引き返せる自分のことは、結構好きだ。

2025.5.12

 自分に直撃するしんどいニュースを観た。うーん、厳しい……→二松学舎大、トップの疑惑扱った講師を不採用 教授会「不正にふた」 | 毎日新聞

(棋客)

*1:昔、このブログでKashikoi Ulyssesの曲の歌詞の感想をかいたこともある→その「笑い」はどこから来たものですか〜KASHIKOI ULYSSES「feelings, NONAME」 - 達而録