最近新発売された、トンツカタン森本の『ツッコミのお作法』という本を買った。森本さんは、私が初めてエンタメ業界にできた「推し」だと思ってて、当然の義務として購入した。本書はもともとウェブ上で連載されていた記事をまとめて、加筆修正したものである。
ちなみに森本さんに関しては、これまでこんな記事を書いたことがある。
さて、この本の内容もとても良かった。普通、こういう本なら、「ツッコミで万事解決!」みたいな方向で書いて、分かりやすく「売れる」本の作りにしていくのが主流だろう。でも、この本では、「ツッコミ」の効用を説明しながらも、「ツッコミでは解決できないこと」(またはしようとしてはいけないこと)がはっきりと書かれているのが、とても良いと思った。
たとえば、p.107~p.110の話。失礼ないじりに対して、それを面白いツッコミで返すことで、その場を和やかにすることはできるかもしれない。でもそれによって、その人の「失礼ないじり」はむしろエスカレートするかもしれない。だからそんないじりを「ツッコミ」によって面白くしてあげる義理は無い、というような話が書かれている。
本当にその通りだなあ、と思う。日常生活は、お笑いのコンテンツではないのだから、無理して「おもしろく」する必要なんてない。
つまり、「ほら、ツッコミってこんなにすごいでしょ!いつでも応用できる!」という態度ではなくて、あくまでお笑いの一技法である「ツッコミ」が、コミュニケーションの中で果たしうる役割について、誠実に向き合おうとしている本になっている。森本さんには、自分を大きく見せることへの警戒心が常にあると感じられて、そういうところが好きだ。
他にも、観る人が嫌な思いをしないような、最終防衛ラインとしての「ツッコミ」の役割を説明しているところも良かった。たとえば、あまりに「不適切」で人を傷つけ得るボケを、強めに制したり、フォローを入れて、観る人の納得感を出す、という話とか。
また、森本さんが重んじている「情報共有ツッコミ」は、「文脈に通じていること」をその場にいる資格にして囲い込む、ホモソーシャル的な内輪ノリを封じることに通じる面がある。私が森本さんのコンテンツを心地よく感じる要因はこれが大きいんだろうな、と改めて発見できて面白かった。
この本を読んで、昔「タイマン森本」で森本さんが言っていたことを思い出した。
「嫌なことがあったり、心配事があったり、不安なことがあったりするなかで、観てる間だけは払拭させる、まあ根本は解決させることはできないけど。これがお笑いだと思っている」(https://www.youtube.com/watch?v=4LMuCmREaEc)
確かに、森本さんが作る「お笑い」ってすごくこういう感じがする。
もちろん、こういう形じゃないお笑いだってある。つまり、まさしく「根本の解決」を求める表現手段としてお笑いを使う、というパターンだ。(たとえば、こたけ正義感の「弁論」は、その一例と言えよう。)
でも、とにかく色々な人と交わってコンテンツを成立させなければならない「ツッコミ」(または「MC」)である森本さんの態度としては、これはこれで一つの覚悟として納得がいくし、一ファンとして尊重したいと思う。
実際、ただ笑いたくて「お笑い」の動画を見たのに、日常で接する嫌なことを思い出させられて嫌な気持ちになる、ということは結構多い(特に女性蔑視・同性愛蔑視・外国人蔑視をネタにした笑いはいまだにあふれている)。
もし、そういう日常を「観てる間だけは払拭させる」ことを、さまざまな相手や舞台で実現できるのだとしたら、それはすごいことだと思う。この自分なりのお笑い観に殉じて、自分の腕を磨き続けている森本さんを、今後も応援していきたい。この本を読んで改めてそう感じた。
(棋客)