達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

高橋和巳と吉川幸次郎

 高橋和巳できちんと読んだのが『邪宗門』と『わが解体』だけというのが気がかりだったので、図書館で『高橋和巳全集』を色々と読んできた。全20巻あるので、もちろん全部読んだわけではなく、パラパラと眺めただけだ。

 高橋和巳は、小説家として活躍するかたわら、中国文学の専門で京大の助教授に就くも、1960年代の学生運動で全共闘の側に立ち、職を辞した人として知られる。教授陣と学生の板挟みになり、過労から体調を悪くして、精神的にも追い詰められるなか、1971年に39歳で最期を迎えた。社会運動に関する論考も多く残しており、私と重なる点が多く(と自分で書くのは少々畏れ多いが)、私自身の今後に示唆を与えてくれるような気がしている人だ。

 今回、特に読んでみたかったのが「論語――私の古典」という短いエッセイで、なぜかというと、これが今年の筑摩書房の『文学国語』の教科書に採用されていて驚いたからだ。

www.chikumashobo.co.jp

 教科書に採用されるだけあって、読みやすく、含蓄に富む話だった。

 他の文章も眺めてみたが、中国文学の研究著作であっても、高橋和巳の文学観や政治的態度がよく出ているように感じられた。こういうところを読むと、たとえば私自身が自分の専門分野の論文を書くときに、どういう政治的態度で臨むか、またどういう書き方をするか、ということを考える上で参考になることが多々ある。

 高橋和巳の小説で語られる文学観や政治性と、研究論文で明らかにされるそれの重なりを研究した論文ってないのかと探してみると、平田昌司「高橋和巳「表現者の態度I・II」の検討」があった。明晰で手堅い研究であったが(さすが平田先生である)、ここから先、高橋和巳自身の行動や運動論との重なりも考えていきたいところだ。

 ちなみに、『高橋和巳全集』には小冊子が挟まっていて、そこでは様々な人が高橋和巳との思い出や弔辞を語っている。学者や文学者の言葉が多く、面白い逸話の宝庫ではあるのだけど、なんとなく物足りないものとも感じてしまった。それは、森田童子の『孤立無援の唄』で歌われているような、活動家として闘った高橋和巳をとらえたものが少なかったからだと思う。

春になったら就職するかなァ
壁に向かって 逆立ちして笑った
机の顔の高橋和己は*1
おこった顔してさかさに見える
どうして生きていいのか
わからぬ ふたりが
畳の上に ねそべっている

――森田童子『孤立無援の唄』

 一つだけ、最後の方の小冊子にあった文章に、高橋和巳の理想を知り、激しい闘いを知る同志による言葉という感じるものがあって、「これが読みたかった!」と思った。

 

 さて、この小冊子を読んでいて、高橋和巳と、その師の吉川幸次郎の関係が気になってきた。今日の本題はこっちである。

 高橋和巳は、学生時代に警察に捕まったとき、身元引き受けに吉川幸次郎が来てくれたという恩があり、大学に呼ばれたら戻らないわけにはいかないと言っていた、という話が全集の小冊子に載っている。

 一方で、高橋和巳が全共闘支持を明らかにし、大学の中で孤立しつつあったとき、吉川幸次郎は特に政治的態度を明らかにせず、味方をしてくれたわけではなかった、という話も読んだ記憶がある*2。高橋和巳としては、さまざまな恩があり、また薫陶を受けた師を直接批判することはしなかったが、やはり政治的な態度は異なっていたことは間違いないと思う。(だいたい、そうでないのなら高橋和巳が文学部教授会で「孤立」し職を辞すことなどないだろう。)

 吉川幸次郎の戦前の文章は、明確に大政翼賛かと言われると微妙ながら、私の感触では、自分の「専門」の話をしつつ、巧妙に戦争への意欲を高めるものという印象がある。以前、以下の記事で触れたことがある。

note.com

 

 そこで、吉川幸次郎の政治的態度について触れた研究はないかと調べていると、中村優「1950年代における「反共産主義」リベラル知識人の国際的ネットワーク : 外国人リーダープログラムと日本文化フォーラムの活動に着目して」(東京大学大学院教育学研究科紀要64、2025)という研究があった。

cir.nii.ac.jp

 1950年代、京都大学の当時の総長は、「左翼思想」の「浸透」に危機感を覚え、これに対抗しうる人材をFLPグラントとして推薦し、アメリカ合衆国へ派遣する。FLPは米国国務省の組織で、その政治的立場は地域によって異なるようだが(それが上の論文の主旨である)、京大の文脈の場合は「反共」の目的をもってなされたもので、ここで推薦された人材は後に学部長になって左翼の浸透を防ぐ中核になることが求められた*3

 で、この時に推薦された五名のうちの一人が、なんと吉川幸次郎である。しかも実際、吉川幸次郎は学部長になっている。論文ではなぜ吉川幸次郎が推挙されたのかは言及されていないが、少なくとも、吉川幸次郎がそういう人材になりうる人だと総長に認識されていた、ということは確かである。

 これは、個人的にはかなり衝撃を受けた内容だった。そりゃあ、高橋和巳を支持できるわけがない。

 ただ、だとすると、そもそも吉川幸次郎はなぜ高橋和巳を呼び戻したのかという話になる。むろん普通にその実力を買っていたということはあるだろうが、穿った見方をすれば、高橋和巳を「研究」に専念させて、「脱政治化」(という政治化)をさせようとした、ということはあるかもしれない。(そこには政治的意図もあれば、とにかく研究者としての高橋和巳に期待を寄せていたという、両方があるのだろう。もしくは吉川幸次郎なりにバランスを取ったというか、一種の罪滅ぼしだったのかもしれない。)

 『高橋和巳全集』の小冊子を見ても、「高橋和巳は研究に専念すべきで、小説の道に進むべきではなかった」という論調はしばしば見た。確かに、『邪宗門』に魅せられた私としても、小説としてどうだろうという箇所もあったし、これが単に仕事としての向き不向きを指しているなら分からなくはない。ただ、全体としては、小説から引き剥がすことで、いわゆる「政治活動」から高橋和巳を引き剥がそうという含意を感じるところもあった。(私が読み込みすぎかもしれないが……)

 実際のところは、高橋和巳自身、文学研究も小説執筆も本質は同じであるということを述べている通りで、小説から引き剥がされようが、高橋和巳は高橋和巳であったので、アカデミアの職に就いても「脱政治化」されることはなかった。それゆえ辞職し、それゆえ死んだ。

 ……と、これが妥当な整理なのかは分からないけれど、ひとまずこのように整理しておこうと思う。おそらく当時の事情を口伝で知っている先生もいるだろうから、機会があったらお尋ねしてみたいところだ。

 

 さて、そんなことを考えながら図書館を巡っていると、高知聡編『高橋和巳をどうとらえるか』(芳賀書店、1972)という本に出会った。これがなかなか面白かった。

 本書は、高橋和巳の死後すぐに編まれている。そしてその内容は、同時代の活動家による、高橋和巳への徹底的な(それはもうとにかく徹底的な)批判である。執筆メンバーで読書会をして書いたもので、また高橋和巳とも実際にやりあった人もいて、中には揚げ足取り的な批判もあるものの、妥当な批判も多いと感じた。

 正直、あまりのきつい筆致に、私は最初はやや頭に血が昇りながら読んでいたのだが、編者自身が全学連、そして後には革マルの同伴者になっていった人だと知り、少し読み方が変わった。

 1950〜60年代の闘争に身を置いてきた人から見れば、高橋和巳の辞職をただの「逃げ」とするのも分からなくはないし、高橋和巳にはそもそも大学に就職することの覚悟が足りなかったという批判も一理あるとは思う。また、周りに警察の横暴や内ゲバなどで悲惨な死を遂げた同志がたくさんいるなかで、高橋和巳の死が(私のようには)「特別な感傷」をもたらさないのも分かる。そして周りの知識人がその死を「戦死」と表現することへの怒りや、逆に「学生運動に巻き込まれて死んだ」と評価することへの怒りも分かる(特に後者の言説は、高橋和巳の主体性を蔑ろにする言説で酷いと思う)。むろん、こうした怒りの背景に、ノンセクト・ラディカルに共鳴した高橋和巳に対する党派的な反発もあるとは思う。

 私はセンチメンタルな人間なので、最後まで一切擁護せずに批判し切ることが、高橋和巳への最大の敬意と愛情の表現であり、これこそが真の弔辞であると考えたのではないか、とも思ってしまう。そして、対立する党派にこういう論者をもち、こうした編著が編まれた高橋和巳は幸せ者だと勝手に思ったりもする。でも、やっぱりそれは編者の本意ではないのだろう。編者はすでに亡くなっているが、もし生きていたら、この私の感傷も徹底的に批判されるだろうと思う。

 この編者と高橋和巳自身が、高橋和巳の「内ゲバの論理はこえられるか」について討論した記事があるらしいことを知ったのが、最大の収穫だった。今後、国会図書館に行くついでに読んでみようと思う。

(棋客)

*1:「己」は原文ママ。

*2:この話は、確か、川西政明『評伝高橋和巳』(講談社、1995)で読んだと思う

*3:この論文の注釈(1)に、ここでいう反共産主義というときの共産主義とはソヴィエト的な全体主義のみを指す云々、というエクスキューズが挟まっているものの、その後の展開や当人たちの働きを見る限り、私としては、ごくごく普通の「反共」として読んでも問題ないように思える。というかそう読むべきだと思う。同じく推薦された五名の内には、高坂正顕(戦前に大日本言論報國会に所属して公職追放を受け、戦後にも教育方針に天皇への敬愛を入れた人)や、大石義雄(保守系憲法論者で靖国合憲などを唱えた人)もいる。もし「反全体主義」を基調とするのなら、こういう人を推薦するのはおかしな話ではないか。つまり問題は全体主義かどうかではなく、とにかく「反共産主義」かどうか、にあったと考える方が普通ではないか。そしてそれは、現代の日本と政治体制や大学の状況が何よりの証明ではないか、と思う。