達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

勝手気ままな「訳書」紹介―『論語』

 日原利国氏が「碩学といわれるほどの大先生は、みな『論語』の訳注をされる、と聞かされ」*1たと述べる通り、『論語』の訳本は非常に多く存在します。一般向け・専門向けも入り混じっており、どうまとめるのが良いのか悩みどころ。全てを時代順に並べても、却ってまとまりを欠く結果に終わりそうです。

 

①井波律子訳

 まずは新しい『論語』の訳書を紹介します。

 中国学を専門とする研究者の手による『論語』訳の新しいものとしては、井波律子『完訳論語』(岩波書店、2016)がまず挙げられるでしょう。井波氏は吉川幸次郎高橋和己の両氏を師に持ち、特に『世説新語』や『三国志演義』の訳で知られています。

 この『論語』訳は専門的な解説は最小限にとどめ、一般向けに平易な文体で書かれています。解釈は一つの注に則らず、穏当なものを取捨選択する形式です。初学者向けの良書と言えるでしょうが、字が大きい分少し分厚い本になっています。

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 さて、この本の参考文献の一覧の中には、三種類の『論語』訳が挙がっています。即ち、吉川幸次郎訳(『中国古典選』朝日新聞社、1962)金谷治訳(岩波文庫、1963)桑原武夫訳(『中国詩文選』筑摩書房、1974)の三種です。

 実際、この三種はよく推薦される本です。以下、特徴を紹介します。

 

吉川幸次郎

 特に吉川本は非常に評価が高く、日原氏が「専門家が読んでも素人が読んでも面白く、感服する」*2と述べる通りで、今でも多くの先生が最初にこの本を推薦しているのではないでしょうか。何か一つの注に拠るわけではないですが、伝統的な解釈を丁寧に伝える本になっています。広く異説を収集するばかりでなく、少し横道に逸れた解説も面白い。一段一段への解説が手厚いだけあって、上下巻に分かれています。余談ですが、この朝日新聞社『中国古典選』シリーズは吉川氏の監修にかかり、基本的に質が高いと評価を受けています。本田済『易』、島田虔次『大学・中庸』など名訳揃いで、今後取り上げることも多々あるでしょう。

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金谷治

 金谷本岩波文庫一冊というコンパクトさが一番の魅力。岩波文庫なので字がやや小さいですが、旅行のお供には良いでしょう。こちらも穏当な解釈を適宜選んでいる訳です。

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桑原武夫

 桑原本は色々な意味で変わり種です。桑原武夫氏はフランス文学者という肩書きで知られていますが、この訳書執筆は、吉川氏・貝塚氏ら中国学者編集委員によるじきじきの要望であったことが本書の序から分かります。この本は前半の訳のみで完訳ではありません。しかし、各章に付けられる解説が、教養人の読書感想文(というと語弊があるかもしれませんが)といった趣きで、魅力のある本になっています。むやみに線引きをするのも問題がありますが、いわゆる中国学者の本とは一味違う訳書になっていると言えるかもしれません。惜しむらくは部分訳です。

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貝塚茂樹

 さて、その桑原訳の中で、大いに参考になった訳書として挙げられているのが、先述の吉川訳と、貝塚茂樹訳(『世界の名著』中央公論社、1966)です。この訳は、本文の背景として当時の時代や社会を濃厚に意識するものです。本書の解説ではこう述べられています。

 私が『論語』を読むのは、孔子や弟子たちの人間を明らかにし、彼らを友とするためである。そのために、孔子や弟子たちの生きていた紀元前五、六世紀の春秋末期の時代を明らかにし、その背景のうえに彼らの人間を浮かびあがらせたいと企てたのである。(貝塚茂樹論語』―『世界の名著』中央公論社、1966、p.19)

 「孔子の時代」そのものへの研究は、近年大きく進展したと言われており、現在となっては貝塚氏の研究自体には誤りの指摘されることが多いようです。しかし、その試みの端緒を開いた意義は薄れないでしょう。

 同じく新解釈をかなり意識した訳として、宮崎市定訳(岩波書店、2000)があります。これはもともと『論語の新研究』(岩波書店、1974)に収録されていたもので、宮崎氏独自の研究によって訳が作られています。文字を武断に改める箇所もあり、しばしば「独断が多い」と評される貝塚・宮崎の両書ですが、その立場や指向を留意した上で読めば、やはり価値のある本となるでしょう。ここでは同書の礪波護氏の解説を引用しておきます。

 同僚である吉川幸次郎の訳注『論語』が中国文明の伝統の中での解釈を忠実に伝えんとしたのに対し、宮崎は歴史的人物としての孔子の思想の本来の意味を明らかにしようと努力したのであって、どちらの立場も大切であることは言を俟たない。(宮崎市定論語岩波書店、2000、p.368)

 至当な見解と言えます。

 

⑥石本道明・青木洋司訳

 更に、最新の『論語』の訳書として、石本道明・青木洋司『論語 朱熹の本文訳と別解』(明徳出版社、2017)があります。朱子注を基本として全てを訳しながら、『集解』、『義疏』、『論語徴』など手厚く異説を引きます。新しすぎて評価のほどが分かりませんが、概ね好意的な声が多いようです。(この本に関しては、まだ目を通せておりません。いずれ書き足します。)

 

倉石武四郎

 もともと朱子準拠訳で古典的なものとされるのは、倉石武四郎訳(日光書院、1949、のち『世界文学大系』筑摩書房です。語学の達人である倉石氏が、更に自身の長男に読ませて分かりにくい点を修正したとあるだけあって、非常に平易な日本語になっています。但し原文が載っていないので、他の『論語』訳を読んだ後に朱子の解釈もちょっと見てみる、という時に良いかもしれません。筑摩書房版は湯浅幸孫訳『孟子』、金谷訳『大学』『中庸』とワンセットになっています。(湯浅訳のみ旧注準拠ですが)

 更に、朱子注関連としては、土田健次郎『論語集注』訳注(平凡社東洋文庫、2013年)が出版されました。これは「朱子注準拠で論語を訳した本」というより、「朱子注を含めてまるごと訳した本」となります。こちらは専門的。

 

⑧その他

 さて、話を戻して、古いものを挙げるとすれば、まず武内義雄訳(岩波文庫、1933)になります。但し、宇野哲人訳(明徳出版社、1967)によれば、武内訳は「自己の独断が多い」と批判されています。

 その他少し挙げるならば、藤堂明保訳(『中国の古典』学習研究社、1983)も穏当かつ読みやすく、初学者向けとして良いと思います。この『中国の古典』シリーズ自体、「お茶の間やオフィスでも」というコンセプトのもと作られたものであり、どれも非常に読みやすい作りになっていますね。また、加地伸行訳(講談社学術文庫、2009)は、文庫本でコンパクトな割に索引が充実しているので携帯に便利。訳は自由に書かれている印象です。

 更に、吉田賢抗訳(『新釈漢文大系』明治書院、1960)木村英一訳(講談社文庫、1975)重澤俊郎訳(日中出版、1979)平岡武夫訳(『全釈漢文大系』集英社、1980)といったものがあるようです。これらの本は目を通せなかったので、読む機会があればまた加筆します。

 

 個人的には、やはり吉川本を推薦します。初めて漢文に触れる人であれば、藤堂本が読みやすいでしょうか。

*1:『アジア歴史研究入門Ⅲ』同朋社、1983、p.183

*2:前掲書、p.184