達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

カブール陥落について―杉山正明『ユーラシアの東西』から

 8月15日、「カブール陥落」というニュースが世界を駆け巡りました。

 私の手元にある杉山正明ユーラシアの東西―中東・アフガニスタン・中国・ロシアそして日本』(日本経済新聞出版社、2010)のうち、氏の2009年の講演を記録した文章に、アフガニスタンについて語っている部分があります。私は全くの門外漢ですし、いつもは今日的な話題を取り上げることはない本ブログですが、杉山先生の語りに導かれて、一緒に学んでいこうと思います。

 Googleマップから、非常に簡単な地図を作っておきました。青線がインダス川。上側の緑のマーカーがヒンドゥークシュ山脈。下の緑のマーカーがスレイマン山脈です。大雑把なものですので、細かくはみなさまご自身でご確認ください。

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アフガン問題の元凶は国境線

 わたくしは三年ぐらい前に予言していたのですけれども、アフガン問題は解決しませんよ。もともと誰が悪いかといえば、イギリスです。イギリスが一八〇〇年代の末から、一九〇〇年代のはじめにかけて三回アフガニスタンと戦争をしているのです。イギリスは南下してくるロシアを防ぐためのガードが欲しいというか、「金ぐら」のインド亜大陸を守りたかったのですね。まさしくイギリス帝国主義大英帝国の繁栄のもとは多くインドにあったのです。インド亜大陸という意味ですよ。現在の国家としての “India"ということではありません。

 イギリスとアフガニスタンの戦争の一回目は、実はイギリスがぼろぼろに負けたのです。つまり海では勝てても、陸上戦闘能力では、馬の軍隊が勝ってしまうのです。山岳戦では「チンギス・ カンの軍隊」(騎馬と弓矢の兵のこと)がイギリス軍の歩兵隊に勝ってしまうのですよ。そこをやられたわけです。二回目はほぼフィフティ・フィフティだったですね。

 三回目は第一次世界大戦中にヨーロッパで手一杯のイギリスの隙をアフガニスタンが突いて、 デリーのすぐ間際まで進撃するのです。ようするに、イギリスは一貫して不利ないし劣勢なのです。結局、当時のイギリスの外務大臣デュアランドがアフガニスタン側と協定を結びました (デュアランド・ライン)。(以上、杉山正明『ユーラシアの東西』p.110-111より引用)

 「デュアランド・ライン」こそ、いまもアフガニスタンパキスタンを分断している国境線です。イギリスによるこの国境設定に問題があったことを、杉山氏は説明していきます。

 アフガニスタンの最大の問題点は、現在の国境は不自然だということです。真ん中にヒンドゥークシュ(ペルシア語で「インド人殺し」という意味)という巨大な山脈がパミールから来ていまして、その南北両側に国域があるのですね。ところが、アフガニスタンにはいろいろな人種がいるのです。その中心となるパシュトゥーン人というのは、まさに遊牧民なのです。それぞれの集団が小さい大名みたいなものだと思ってくださったら良いのです。江戸時代か、あるいは戦国時代かもしれません。

 現在はパキスタンアフガニスタンの境になっているスレイマン山脈という、これもかなり大きな山脈がインダス川の西側にあります。パシュトゥーン遊牧民というのは、実はもともとその スレイマン山脈の両側の山麓に遊牧していた人びとなのです。イギリスのミステークというのは、国境線をスレイマン山脈の真ん中で引いたということですよ。アフガン問題を皆さんもよくわからないなと思われるでしょうが、それはパシュトゥーン族がアフガニスタンをひとまず抑えているのだけれども、それはパシュトゥーン族の半分であって、もうひとつパシュトゥーンの居住地はパキスタンにあるからなのです。(以上、杉山正明『ユーラシアの東西』p.111-112より引用)

 つまり、もともと一つの民族であったパシュトゥーン遊牧民が、帝国主義のもとで分断されてしまったことに悲劇が始まるわけです。

 「それぞれの集団が小さい大名みたいなものだと思ってくださったら良い」というイメージは、中村哲の語るアフガニスタン像とも重なる所がありますね。
www.rockinon.co.jp

 

 では、どこに国境線を引くべきだったかということについて、杉山氏は以下のように持論を展開しています。

インダス川を国境にすべきだった

 ではどうすればよかったかというと、インダス川をもって国境とすることでした。イギリスは引くしかなかったのです。遊撃戦をやって負けているのですから。インダス川をもって国境とする、現在のパキスタンというのは存在しませんけれども。「パシュトゥーニースターン」(パシュトゥーン人の地)というのをスレイマン山脈の南北で作ればなんとかなった。ただし、そうすると今度はヒンドゥークシュの向う側、つまり北側のいわゆる「アフガン・トルキスタン」、ここが間題ですね。ロシアが南下してくるときにどうするか。当時は信託統治領という考え方というか、そういう状況がなかったですからね。ですから、デュアランドが北向きに国境線を設定 してしまったというのはやむをえない状況ではあったのだとおもうのですが、ともかく事情はそうです。

 ですから、構造的に解決するわけがないのです。それからパシュトゥーン遊牧民というのはさきほどもいいましたように、それぞれの集団が小さい大名のようなものなのです。谷や村が違うと別の集団なのです。それは一部の地域では農業開発・産業おこしをして何とかできるかもしれません。それは当然すべきでしょうね。しかし、それですべてが解決するなんてことはありません。たとえば、不用意に報道陣がある村に入ったりすると殺されますね。それは決しておかしなことではなくて、昔からの慣習にすぎません。

 ただし、彼らパシュトゥーンたちは仁義に篤くて、すごくいろいろなことを知っていて勇猛果取です。わたくしにペルシア語を教えてくれたパシュトゥーン人の友人もそうなのです。快男児といっていい男です。学部生のときに会ったのですが、今アメリカの大学の教師をやっています。(以上、杉山正明『ユーラシアの東西』p.111-112より引用)

 以上、アフガニスタン問題の源が分かりやすく整理されている文章だったかと思います。こののち、1979年末のソ連によるカブール制圧、10年ほどのちにソ連が撤退するも内戦は止まず、アメリカの介入、そして同時多発テロへと歴史は進んでいくわけです。(ちなみに私は同時多発テロはぼんやり覚えていて、このあたりに歴史と現実の区分があります。)

 さて、以上は2009年の講演録なのですが、実はこの本にはもう一つ、2002年の講演を記録した文章の中に、アフガニスタンについて語っている箇所があります。より古い文章ということになるわけですが、これも非常に興味深い文章ですので、合わせて読んでおきましょう。2002年というと、ターリバーン政権がアメリカを中心とする軍の侵攻によって一度崩壊した直後のことです。

 なお、わたくしはアフガン戦争は終わっているとはおもっておりません。ターリバーン政権が崩壊し、アメリカ以下の軍事作戦がひとまずの区切りをむかえただけのことで、アフガニスタン国内各地での戦闘はまだ当分ひきつづくことでしょう。その一方、このアフガン戦争を通じて、人類の歴史というのか、あるいは世界の歴史というべきものは、ある別の段階に入ったなという感じもします。それは何かといいますと、今わたくしは予定原稿に何もないことを、お話しさせていただいているのですが、アメリカが変わったということです。アメリカはこれまでは、海と空の帝国であったのですね。

 わたくしは、歴史研究の主要テーマとして、いわゆるモンゴル帝国とその時代というのをおもにやっているのですが、モンゴル帝国は、陸と海の帝国でした。かたやアメリカという「帝国」を象徴するものは、とくに空ですよね。巨大な海洋戦力、なかでも空母をもとにして、そこから飛び立つ航空戦力によって支配する。そして、さらには宇宙空間を支配する。あるいはEメールやインターネット、それからアメリカが得意とする巨大メディア、テレビ、映像、音楽なども加えてもいいかもしれません。つまり、目には見えない空間を飛ぶようないろいろな手段をもって世界を支配する。おそらく、人類史上で最初の真の「世界帝国」なんだろうと思いますが、それが今まで陸海空の三つの要素のなかで一番弱かったのは実は「陸の帝国」の側面でした。

 日本の沖縄をはじめ、世界各地の島嶼部や沿岸部にある基地はべつにして、歴史の古い一番大きな大陸であるユーラシアの中央部に、しかるべき拠点や基地、ヘッドクゥォータースなどをもっていませんでした。ドイツや韓国などにも基地はありますが、それらは所詮ユーラシア全体でみれば沿岸部でした。それが中央ユーラシアというか、ユーラシアの中央域に、ドンと入って しまったわけです。結果として、アメリカはアフガニスタンはもとより、ウズベキスタンカザフスタン、クルグスタンそしてトゥルクメニスタンを直接・間接に影響下におくことになりました。

 これは一体何を意味するかといいますと、中華人民共和国にとっては、裏庭に入られたことなのです。インドにおいては、頭上に入られた。イランにとっては、一番弱い、東の横腹に入られた。そしてロシアにとっては、南側の内懐に入られた。つまり、これまで一応は陸海空の帝国なのだけれど、どちらかというと、より海と空の帝国であったアメリカが、ついにユーラシア大陸の中央域に、橋頭堡を築いたということであり、これからの国際政治が根本的に違ったかたちになるということです。

 すでにそれに対応する動きはかなり前から現れています。たとえば、中国。北京政府は人民解放軍の大部隊を新疆の西部に配しました。もちろん、ターリバーン等のテロリスト集団が、東方へ入ってきたり、逃れたりするのを防ぐ。あるいは、アフガン国境線の東部方面を固めるといいますが、これは大義名分なのですね。 同じような動きは、イランにもあります。ですから、アメリカがユーラシア大陸の真ん中に入ったということが世界情勢にとってハッピーであるかどうか、これはわかりません。(以上、杉山正明『ユーラシアの東西』p.193-195より引用)

 結末としては、昨日カブールが陥落し、アメリカがアフガニスタンに拠点を置く世界情勢にはならなかったわけです。

 結局、アフガニスタン紛争とは何だったのでしょうか。30年という途方もない期間、戦地であり続けたアフガニスタンは、今後どうなっていくのでしょうか。色々なことを考えさせられる出来事です。

 

杉山正明ユーラシアの東西―中東・アフガニスタン・中国・ロシアそして日本

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↓杉山先生の本は、以前も紹介したことがあります。こちらもぜひ。

chutetsu.hateblo.jp