達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

素晴らしい場所、長崎人権平和資料館

 先日、帰省のついでに寄り道して、長崎を訪れました。「長崎人権平和資料館」という場所に行くのが目的です。

www.nagasakijinkenheiwa.com

 

 資料館は、長崎駅前から歩いて五分ほどです。二十六聖人殉教地(西坂公園)のある急坂を登っていくと、すぐに資料館に着きます。三階建ての建物です。

長崎人権平和資料館の外観

 長崎と戦争と言えば、長崎原爆資料館に行かれる方が多いかもしれません。もちろん原爆資料館にも重要な展示がたくさんなされていますが、どうしても(日本側の)戦争被害に焦点が当てられる傾向にあります。一方で、長崎人権平和資料館では、原爆被害を明らかにしながらも、大日本帝国政府や日本軍による加害の歴史が克明に展示されている点に特色があります。

 以下、少し展示内容を紹介しておきます。写真撮影は一部を除いて可能です。上のホームページでも紹介されていますので、そちらも合わせてご覧ください。

1階

 原爆投下当時、長崎市には数多くの外国人が居住していました。特に韓国・朝鮮人は3万人ほどが住んでおり(その多くが朝鮮半島から強制連行されてきた人々です)、1万人にも及ぶ死者が出たとされます。1階の展示では、こうした人々がどのように連れてこられたか、長崎でどのような(劣悪な環境での)仕事に従事していたか、そしてどのように被爆したか、といったことが詳しく説明されています。

 当時の新聞、実際の道具、当事者の日記など、ありのままを伝える現物の展示と、要領の良い説明パネルや分かりやすい地図・図面が組み合わせられていて、よく内容が伝わる展示になっています。

 ちなみに、私は同日に長崎原爆資料館にも行きました。そちらでも、外国人の原爆被害者には触れられており、インタビュー動画を見ることもできます。一応、強制連行の事実にも触れられている箇所もあります。ただ、説明は控えめで、あまり印象に残らない人が大半であるように思います。もう少しきちんと説明してほしいものです。

階段部

 次に、階段の壁面に、太平洋戦争に突入するまでの、大日本帝国の植民地支配の様相が詳しく展示されています。朝鮮での皇民化思想統制の具体的な政策や、それに対する朝鮮人の抵抗(3・1独立運動など)、日中戦争での暴挙(南京大虐殺重慶無差別爆撃・万人坑・731部隊三光作戦など)、そしてアジア太平洋各地への侵略について、記録写真をふんだんに用いて展示されています。

 下の写真は、アジア・太平洋各地での日本軍の残虐行為を地図にまとめたものです。

「日本はアジアで何をしたか」というタイトルの展示

2階

 2階では、まず、長崎における朝鮮人と中国人の強制連行について説明されます。特に、端島軍艦島)で朝鮮人が強制労働させられていた体験記が展示されているのは重要だと思います。この事実は、軍艦島の観光ツアーでは触れられることはありませんし、東京の展示施設ではその事実を否定しようという動きも見られるからです。

 次に、慰安婦の証言集や、南京大虐殺の現場の写真、また侵略・戦争に反対した人々として、末永敏事・山本宣治・長谷川テル・飯島喜美・尹東柱といった活動家の言葉が展示されています。このうち多くの方が獄死しています。(ちなみに末永敏事はWikipediaがないので、今後書いてみようかと思います。)

 そして、こうした過去の加害が、ただ過去のものではなく、現代にまで解消されずに温存されていることが説明されます。たとえば、戦後補償の不十分さ、現代に残る植民地主義、そして現代社会における性差別・性暴力について紹介されています。

特に印象に残った展示

 どの展示も素晴らしかったのですが、特に印象に残っているのは、最後の「性差別と性暴力」の展示です。

「性差別と性暴力」というタイトルの展示

 少し、経緯を説明しておきます。

 この資料館は、もとは「岡まさはる記念長崎平和資料館」という名前でした。これは聖職者で平和運動家の同氏の功績を称え、その名前を冠したものです。しかし、同氏の死後、氏が性暴力に及んでいたことが明らかになりました。告発はしばらく放置され、対応は遅れましたが、数年後に理事会で取り上げられると、被害者への聞き取り調査や、同氏の他の事案の情報収集などがなされ、対応が協議されます。そして一時休館した後、今の「人権平和資料館」の名前で再出発することになりました。

 この再出発の際に、新設された展示がこの部分です。以上の経緯は、長崎人権平和資料館 - NHPに載っている声明に詳しいです。また、こちらの記事もとても良かったです→「偉人」の過去の不正義にどう向き合ったか〈上〉 性暴力への「画期的な対応」がなされるまで 長崎人権平和資料館 | 週刊金曜日オンライン

 この展示では、まず性暴力が何かということを説明したうえで、その背後に性差別があり、被害者は告発すること自体が難しいということ、そして告発後には二次加害に遭うケースが多いということ、そもそも二次加害とは何か……といったことなど、性暴力を考える上で踏まえておくべきことが詳しく整理されています。

 次に、特に「社会運動の中での性暴力」の事例にフォーカスし、東京シューレ広河隆一といった具体的な事例に言及しつつ、社会運動現場における性暴力やハラスメントで典型的に見られる加害者擁護の言説(二次加害的な言説)が紹介されます。

 そして最後に、岡正治の事案における資料館の対応についての反省と、その対応の過程の共有がなされています。ここでは正常性バイアス、二次加害への意識不足、被害者中心主義、組織・運動としての保身の論理といった点について言及されています。

 社会運動のコミュニティにおけるハラスメントや性暴力の告発は、特にそこで「功績がある」とみなされる人に対して行われるとき、二次加害に晒されやすい傾向にあります。この際、組織維持を優先する論理(「この組織が潰れたら社会はもっと悪くなってしまう」とか)や、加害者の功績を強調する主張(「確かに加害行為はあったけど、功績も大きい人だ」とか)がよく用いられます。

 しかし、そういう加害を告発できない組織は、また同様の加害を繰り返すはずです。それではこの社会にハラスメントの温床を一つ増やしているだけです。また、社会運動内部のハラスメントや性暴力は、「功績」と「加害」を切り分けられないことが多いです。なぜなら、ハラスメントの土壌となる権力勾配は往々にして「功績」によって生じるからで、さらにその「功績」が加害をウォッシングするからです。

 

 この展示では、こうした社会運動体の問題点が、自分の組織への自省とともに詳細に記されていたところに、感じ入るものがありました。

 特に、以下の文言には、資料館の方々が、迷いを抱え、時には対立しながらも、被害者の方を含めた誠実な対話を続けてこられた過程が見えるように感じました。(以下、展示パネルから引用させていただきます。)

 被害の告発を放置してから、現在に至るまで、私たちは絶えず「どのように、どこまで対応したらいいのか」というような発想での対応を繰り返してきました。そのたびにそのような発想での対応の限界に気づき、後悔と反省をしつつも、そういった意識を今も完全に拭えたとは言えないでしょう。

 それは端的に言い換えれば「何が"セーフ"で、何が"アウト"なのか」といった形での思考です。その根幹にあるものは、私たちの対応の指針や良しあしの判断を被害者(あるいは外部)に求めている状態です。

 対応するなかで「被害者が何を求めているのか」といった意見が出ることもありました。仮に被害を受けた方が何かを求めたとして、それだけを達成すればいいのでしょうか?

 私たちが何をすべきなのかを被害を受けた方に求めたとき、それは”こなすべきタスク”になってしまいます。被害者中心は「被害者にすべてをゆだねること」ではありません。被害を受けた方と共にあろうとし、二度と起きない社会を一緒に目指すための主体性を持つことであると感じます。

 長く活動されてきた組織・運動体において、しかも資料館という固定の場所の一部に、こうした展示が設けられているのは、とても画期的なことだと思いました。少なくとも私は、類似の展示をほとんど見た記憶がありません。また、似たような問題が起こった時に、(時間がかかったとはいえ、)こうした対応まで漕ぎ着けた運動体もなかなか珍しいのではないか、と思います。

 私自身、社会運動に携わることがある者として、一つのモデルとして参照すべき事例であり、もっと知られるべきだと思いました。

 むろん、日本軍の加害の歴史をこれだけ全面的に扱っている展示も珍しく、その意味でもたいへん貴重です。各自治体に作って欲しい施設だと思いました。遠くに住んでいる方は難しいかもしれませんが、ぜひたくさんの方に観ていただきたいです。

 

 さて、平和公園の方に行くと、朝鮮人の原爆被害者の追悼碑がひっそりと立っています。

「追悼 長崎原爆朝鮮人被害者」と書かれた石碑

 ペットボトルの水がお供えされているのは、原爆の被害者の多くが「水」を欲しいととにかく訴えていたことに由来するものと思います。

 国家に翻弄され、故郷から遠く離れた地に連れ去られ、戦闘員でもないのに原爆によって無惨に殺された人々。いま私に何ができるか、あらためて問いかける一日になりました。

(棋客)